我が国は、未だ敗戦国である。
とくに毎年8月になると、広島・長崎での平和式典にはじまり、8月15日の「終戦の日」を迎えるまで「過ちは繰り返しません」的な雰囲気が日本社会に醸成されます。
むろん「なぜ戦争せざるを得ない状況に追い込まれたのか」「なぜ負けたのか」については日本国民として大いに歴史を検証し反省せねばならないのですが、例えば原爆投下については落とした側が反省すべきであって、落とされた側が「過ちは繰り返しません」と反省するのはおかしい。
この種の反省は、明らかに敗戦国根性です。
また、約7年間の占領統治を遂行したGHQが仕掛けた様々な装置が、未だ我が国を「敗戦国」足らしめています。
例えば、昭和32年のヒット曲『東京だヨおっ母さん』(島倉千代子)は、田舎から出てきた母を二重橋や浅草など東京の名所に案内する歌詞となっていますが、NHKをはじめ他のテレビ局では、絶対に歌詞の2番はカットされテレビ放送されませんでした。
なぜなら、歌詞の1番は「皇居」を案内し、3番は「浅草」を案内するのですが、2番は「靖國神社」を案内する歌詞となっていたからです。
要するに、GHQが示したプレスコードに引っかかったわけです。
占領中のプレスコードが、昭和27年4月28日に主権回復を実現したのちにおいてもなお生き続けていたことは驚きです。
そうしたプレスコードが今なお、例えば「米国の戦争犯罪については触れてはならない」といったものを含め、メディアの自主規制という形で残っているのでしょう。
GHQが占領政策を通じて日本国民から奪ったものは数多いわけですが、その中の一つに「大麻」があります。
現代の日本国民の多くは「大麻」と聞くと、芸能人による麻薬事件とか、大麻はいかがわしいもの、という印象を持っているにちがいない。
しかしながら、歴史的にも大麻は日本人にとって生活や風習の一部でした。
そもそも縄文時代は「縄の文の時代」と書きますが、ここでいう「縄」とは麻縄の縄のことです。
あるいは、比叡山や高野山では今でも護摩を焚いてお祈りしますが、その際、かつては乾燥した大麻草をバーッと炎の中に投げていました。
要するに、大麻草は極楽浄土にいくための一つの道具だったわけです。
神道においても、御札は「大麻」でした。
例えば、神宮大麻の「大麻」は「おおぬさ」と読み、神々への捧げ物、お祓いの際に用いられる木綿や麻を指します。
このことから、厳重なお祓いを経て授けられた清らかなお神札のことを「大麻」と呼ぶようになったわけです。
マッカーサーは、日本軍の強さは神道や仏教などの宗教力に源があると考えていましたので、神道や仏教で使用される「大麻」を悪とし、占領統治時代の昭和23年に大麻の使用を禁止したのです。
すなわち「大麻は人を廃人にする悪しき麻薬である」というイメージを日本国民に植え付けたのはGHQでした。
結果、昭和29年には大麻を栽培する日本人は約3万7,000人もいたのですが、令和3年にはなんと27名まで減ってしまいました。
ところが昨年12月、米国の圧力によって大麻取締法が75年ぶりに改正され、医療大麻が解禁されることになりました。
医療大麻は「がん治療」などにも大きな期待が寄せられているのですが、たった27名の生産者では医療大麻の国内需要を満たすことは不可能です。
なので残念ながら日本は米国やカナダから医療大麻を輸入せざるを得ません。
米国が大麻取締法を改正させた真の狙いはそこにありました。
要するに米国様の都合で大麻は禁止され、米国様の都合で医療大麻が解禁されたのです
これが敗戦国です。