某国が想定する2050年の極東地図

某国が想定する2050年の極東地図

パリ五輪はきのう(8月3日)、柔道の最終日でした。

3年前の東京大会では銀だった混合団体は各選手が粘りをみせてくれたものの、残念ながら再びフランスに敗れてしまい、2大会連続での銀となりました。

悲願の金メダルにはとどきませんでしたが、完全アウェーの地での激闘に感動しつつ、試合後に阿部選手が「日本の皆様に申し訳ないです」と涙ながらに語っていたのが実に印象的で、日の丸を背負って闘ってくれたことに日本国民として深く感謝するばかりです。

日本という国が在るかぎり、そしてオリンピックが続くかぎり、日本柔道はいつでも金メダルを狙うことのできる強い存在であり続けることでしょう。

問題は、日本という国がいつまで在り続けるかどうかです。

冒頭の極東地図のように、いつの日か「極東の地に、かつて日本と呼ばれる国が存在した…」などと言われるようなことがあってはならない。

けっして大仰に不安を煽っているわけではありませんが、この26年間、日本の国力はまちがいなく衰退しています。

ここで言う「国力」とは、経済力、軍事力、文化力のことです。

とりわけ経済力は深刻です。

経済力とは、端的に言えば「モノやサービスをつくる力」のことです。

すなわち、自国のリソースでのモノやサービスの生産に制約がないかぎり、通貨発行量に上限はありません。

例えば、発展途上国のように自国のリソースでモノやサービスを生産できない国は、外国からの輸入に頼らざるを得ないため、経常収支は常に赤字化します。

経常収支が赤字化すると、自国通貨に売り圧力がかかるために政府が外国通貨で買い支えなければならない。

だからこそ発展途上国の政府は、外国の通貨建てで借金をする必要に迫られるわけです。

日本が「円」という自国通貨建てで通貨発行(国債発行)ができているのは、今は未だかろじて国内でモノやサービスを生産する力(供給能力)を維持しているからです。

しかし、26年間にも及ぶデフレ経済(需要不足経済)を愚かにも放置し続けてきたことによって、その力は明らかに毀損されました。

東日本大震災であれ、能登半島地震であれ、モノやサービスの不足から復興に長い時間を要しているのはその顕れです。

しかも、モノやサービスをつくる基盤を成すインフラストラクチャーをみても、我が国では公共事業を減らしに減らし続けてきたため老朽化が甚だしい。

このような深刻な危機に直面し続けているにもかかわらず、政府は正気の沙汰とも思えぬ緊縮財政(歳出削減・増税・社会保険料の値上げ)に陥り、こともあろうに日銀は「利上げ」というデフレ化政策に踏み切っています。

一方、軍事力はどうか。

岸田内閣は米国様に言われて防衛費を増額しますが、軍隊というものは詰まるところ、その国の国民の心情を反映した存在であり、どの国もそのレベル以上の軍隊を持つことはできません。

戦後教育のなかで、歪んだ「平和教育」を受けてきた日本国民に、国の独立を守ることの意味と困難さはどれだけ理解されているのでしょうか。

「憲法9条さえあれば日本は平和だぁ〜」と騒いでいる左派も、「核さえ保有すれば日本は平和だぁ〜」と鼻息を粗くする右派も、そして何も考えてないノンポリ中道派も所詮は同じ穴の狢です。

国防について、まともに考えたことなどない人たちです。

次いで、文化力はどうか。

一国の文化は母国語で決まると言っても過言ではありませんが、学校教育では国語の時間は減らされ、昨今では「古典を学ぶ必要などあるのか…」とか、「英語を第2公用語にしよう…」とか言う者まで現れる始末です。

そもそも文化とは未来に残すべき価値あるものを指し、その価値あるものを未来に残そうとする人のことを文化人という。

文化庁によれば、2021年度の日本の文化支出は1,145億円であるのに対し、韓国は3,734億円で3倍以上です。

国家予算に占める文化予算割合も、日本が0.11%であるのに対し、韓国は1.23%で10倍以上です。

大丈夫か、日本。