いよいよ7月に入りました。
明後日(7月3日)から、新しい1万円札、5千円札、千円札が発行されます。
ご存知のとおり、1万円札には渋沢栄一、5千円札には津田梅子、千円札には北里柴三郎の肖像画がそれぞれ描かれます。
戦後、最初の1万円札が発行されたのは1958年のことで、そのときの肖像画は聖徳太子でした。
私が子どものころは未だ聖徳太子だったのをよく憶えています。
そして1984年になると、聖徳太子から福澤諭吉に選手交代。
以来、40年にもわたり、福澤諭吉先生が君臨し続けたのは凄いことですね。
それだけ偉大な人物だったということです。
もしも福澤諭吉が政治の世界に入っていたら間違いなく暗殺されていたことでしょう。
思想家として、あるいはご意見番として権力とは一線を画したことが、福澤の功績を更に大きくしたものと拝察いたします。
さて、新たな一万円札の顔となった渋沢栄一ですが、彼もまた歴史上の偉人です。
帝国ホテル、みずほ銀行、王子製紙、アサヒビール、東京ガス、日本経済新聞社などなど、渋沢が起業や経営に携わった企業数は優に500を超えるらしい。
近代日本の「資本主義の父」、あるいは「実業の父」などと呼ばれる所以です。
マネジメントの重要性を世界で最初に理解したのが渋沢栄一だった、とさえ言われています。
ただ、渋沢栄一に関しては、誰も絶対に触れない点があります。
それは妾の数、及びその子供の数です。
渋沢が認知した子だけでも20名、認知はしていないもののおそらくは渋沢の子供であろうとされるものを含めると50名にも及ぶとか及ばないとか。
妾の数は何十人という規模で、今となっては正確な数はわからないらしい。
まことに時代を感じさせる話ですが、日本の歴史研究の実に残念なところは、こうした点をタブー視してしまうところです。
むろん、ここでは妾がいたことの良し悪しを言っているのではありません。
そうしたところまで知らなければ、真の渋沢栄一像が見えてこない。
あたり前ですが、実業家としての一面だけをみても、それで渋沢を理解したことにはならないのですから。
よって、たくさんの妾と子供がいたことを隠す必要などない。
因みに、『学問のすすめ』を著した福澤諭吉先生は子供の頃から酒豪でしたが、それを現代的価値観でタブー視する必要などありません。
日本人が歴史を教訓にすることを苦手とするのだとしたら、その理由はここにあります。
洋の東西、時の古今を問わず、人間は偉大なこともしますが、同時に卑劣なことも滑稽なこともします。
歴史から学ぶという行為は先人たちの栄光と失望、誇りと屈辱をも顧みることなのです。
ゆえに、歴史にタブーをつくってはならない。