お雇い外国人

お雇い外国人

法務省の『在留外国人統計』によれば、約322万人の在留外国人が日本で暮らしています。(昨年6月末時点)

この数を多いと見るべきか、それとも少ないと見るべきか。

歴史をさかのぼると今から約150年前、すなわち明治初期の日本では、520名の外国人が日本の近代化のために尽くしていました。

いわゆる「お雇い外国人」と呼ばれる専門家たちです。

なぜ、お雇い外国人が必要だったのか?

むろん、その理由は実に単純で、日本を近代国家(帝国主義国家)にするためのノウハウと人材を輸入しなければならなかったからです。

明治以前、それまでの徳川260余年の日本は、各地域の大名にその統治権を委ねていたという点において今でいう「地方分権国家」でした。

しかしながら、欧米の帝国主義国家(欧米列強)の植民地にならないために我が国は、自然科学を取り入れ、近代産業を発展させることで、一刻も早く近代国家に生まれ変わる必要性から中央集権体制を採らざるを得ませんでした。

とはいえ、薩摩、長州、土佐のお兄ちゃんたちには、どうやればいいのか全くわからない。

なので急ぎヨーロッパとアメリカをぐるりと回って視察してきたわけですが(岩倉使節団)、彼らが目にしたもので特に圧倒されたのは、やはり工業力と軍事力でした。

つまり、建物、道路、橋梁、鉄道、工作機械等々をつくる力、戦争に負けない力です。

因みに、ロンドンでは既に地下鉄が走っていました。

そこで明治政府は、首都機能を東京に集中させ、本郷に帝国大学をつくり、そこにヨーロッパやらアメリカやらの人材(お雇い外国人)を招いて日本人に学ばせ、その知識やノウハウを効率的に全国に波及させるという形をとりました。

まさに東京は配電盤の役割を果たしたわけです。

驚くのは、お雇い外国人たちの給料です。

当時の国家予算の3分の1はお雇い外国人たちのお給料で消えてしまいました。

例えば、お雇い外国人の一人は、月給600円を貰っています。

おコメ60キロを1俵と言いますが、明治初期の1俵の値段は1円20銭ぐらいでした。

現在のおコメの価格は1俵で約3,200円ですので、現在の貨幣価値にすると、月給は約200万円になります。

あるいは工業力のみならず、例えば郵便制度を輸入したのはご存知のとおりで、日本の郵便ポストが赤いのはイギリスの郵便制度を取り入れたからです。

江戸時代のように飛脚や早馬じゃダメで、近代国家になるためには郵便システムを整備し、それを全国津々浦々まで広げる必要があったわけです。

鉄道システムも同様で、イギリスからエドモンド・モレルというお雇い外国人を呼んで整備しました。

飯田橋の旧国鉄操車場の跡地に「エドモンド・ホテル」(現在は、ホテルメトロポリタンエドモント)が建てられたのはその名残です。

要するに、あの当時の日本にとって、高度人材としての「お雇い外国人」は必要不可欠な存在でした。

現在、日本に住む高度人材(高度専門職)とされる外国人の数は約2万人で、在留外国人に占める割合は6.3%です。

今では「お雇い外国人」という言葉は過去のものになりましたが、なんと中国が「お雇い外国人」という発想を取り入れ、世界の優秀な学者たちを招いて高い給料で雇っています。

フリードリヒ・リストが言うように「大国民は現状を維持することができない。常に発展するか、衰微するかである」のだとしたら、明治日本は発展する過程において「お雇い外国人」を呼び込みました。

一方、現在の中国(中共)は、国をこれ以上衰微させないために「お雇い外国人」を呼び込んでいるように思えます。

ですが、デフレ経済を克服することなく、「技能実習生…」と称して外国から低賃金労働者を呼び込んでいる今の日本もまた、明らかに衰微しています。