歴史を教訓にする責務

歴史を教訓にする責務

今から82年前の4月18日、すなわち戦時中のことですが、川崎が空襲されています。

この日に空襲されたのは川崎だけではなく、東京も横浜も同じ様にやられています。

ただ、この時期の日本は未だ、本土上の制空権を米軍に奪われていたわけではありません。

にもかかわらず、本土が空襲されたのです。

もっとも、空襲されはしたものの、昭和20年3月10日の東京大空襲(東京大虐殺)ほどの大被害はでておらず、米国の陸軍機ノースアメリカンB25が16機、いわゆるドーリットル爆撃隊が飛んできて、パラパラっと爆弾を落とし、そのままシナ大陸に逃げていったのです。

ですが…

「真珠湾の開戦以来、緒戦を連勝し続けていた日本なのに、敵に帝都を空襲されるとはなにごとか…」ということで、慌てて計画されたのがミッドーウェー攻略です。

16機のドーリットル爆撃隊を日本近海まで運んできた空母ホーネットが、ミッドウェー島の米軍基地から発船したからです。

このミッドウェーでの戦いこそ、大東亜戦争の分水嶺となりました。

米国にハーマン・ウォークという大作家(日本でいうと司馬遼太郎みたいな人気作家)がそのように言っています。

その理由は、こうです

もし、ミッドウェーの戦いで日本軍が勝利していたとすれば、太平洋の制海権を日本に奪われ米国本土の防衛が危うくなる。

すると、米国の陸軍はすべて米国西海岸のカリフォルニアあたりに集中しなければならず、ドイツのロンメルなどと戦う余裕などなくなる。

このとき、米国の援軍なしには、ロンメルと戦う英国に勝ち目はない。

ゆえに、ドイツはスエズ運河を獲得して石油も手に入れることとなり、遂には英国に勝利する。

つまり、ヨーロッパ・アフリカ戦線でドイツが勝利する一方、日本が太平洋の制海権を獲得してしまえば、本土防衛が危うくなった米国はかなり不利な条件であっても講和条約に応じた可能性が高いとウォークは結論づけています。

そもそも日本は石油を止められたがゆえに戦っています。

同盟国のドイツが石油を手にするわけですから、日本には戦う理由さえ無くなります。

米国とはいえ、石油を手にした日本に勝つのは容易ではありません。

ミッドウェーの戦いとは、そのぐらい重要な意味のある戦いだったのでございます。

その戦いが決行されたのは、今から82年前の6月5日です。

ゆえに、明日6月5日のブログは、ミッドウェーにおいて「いかに帝国陸海軍は負けたのか!」について書きたいと思います。

未来を生きる日本国民のために、今を生きる私たちにはそれを教訓にする責務があります。