以前に当該ブログで、映画『オッペンハイマー』について取り上げさせて頂きました。
その時点では未だ映画を観ていなかったのですが、先日、議会閉会中についに観に行きました。
仄聞するところによると、米国国内において当該映画は、先の大戦を描いた映画としては最大のヒット作になったとのことです。
未だ観ておられない方もおられることと思いますので、ネタバレにならない範疇で私の感想のほんの一端を述べます。
とはいえ、多少は映画の内容に触れざるを得ないので、未だご覧になられていない方はご留意ください。
映画では、オッペンハイマーが原爆実験を成功に導いた栄光から、疑惑を受けて名誉を失うまでの過程がスリリングに描かれています。
恥ずかしながら、私はこの映画を観てはじめて知ったのですが、戦後、原子力委員会の要職を務めたオッペンハイマーは、1954年になると「スパイ」の嫌疑を受け、国家機密に関与する資格を奪われて公職から追放されていたんですね。
ただ、1963年に米国政府は、原子力に関する功績により「エンリコ・フェルミ賞」(米国の物理学の賞)をオッペンハイマーに与え、それにより彼の名誉回復を図ったことになっています。
映画は、原爆開発を主導したオッペンハイマーの栄光とスパイ嫌疑をかけられた苦悩とがある意味での対称をもって描かれています。
その結果、オッペンハイマーが原爆を生み出したことへの葛藤や後悔、すなわち真の苦悩と後悔については少し脇に置かれていたような気がします。
また、映画では「とにかく、ナチス・ドイツよりも先に原爆を開発しなければならない…」という焦りが強く描かれています。
そして1945年にナチス・ドイツが降伏したのちは、「とにかく、日本が降伏する前に、はやく日本に投下しなければならない…」と変わっていったことがあからさまに描かれていました。
しかしながら現実的には、ナチス・ドイツが米国よりも先に原爆を開発していた可能性は極めて低い。
なぜなら、ヒトラーは核物理をユダヤ的学問として嫌っていたからです。
なのでヒトラーはロケットミサイルの開発に力を注いでいました。
諜報活動が既に盛んになっていたあの時代、その情報を当時の米国政府が把握していなかったとは考えにくい。
さて、オッペンハイマーが手掛けたトリニティ実験はニューメキシコ州ソコロの南東48kmの地点で行われたわけですが、爆縮型プルトニウム原子爆弾を用いて行われたこの実験こそが人類初となる核実験となりました。
これと同型の爆弾が後に長崎市へ投下された「ファットマン」です。
その3日前に広島に投下されたウラン型原子爆弾「リトルボーイ」は、核実験されることなくそのまま使用されました。
なぜなら、広島が実験場だったからです。
予想通り、映画ではそのことについては一切触れていません。