信長の濡れ衣

信長の濡れ衣

いま、私たちが知る歴史には嘘が多い。

嘘が多いというか、歴史とは後世に生きる人が語り継いでいくものである性質上、政治的バイアスがかかってどうしても史実が捻じ曲げられていることがしばしばです。

織田信長もまた、死後、その人物像が捻じ曲げられてしまった歴史上の人物の一人です。

信長は、とりわけ江戸時代に徹底的に悪人に貶められ、今なをそれを信じている人が多い。

それゆえに、現代の歴史映画などでも信長は実際の100倍ぐらい酷い人間に描かれることもあります。

NHK大河ドラマは言うに及ばず、学校の歴史の先生までもが信長の嘘エピソードを信じている始末です。

ときの権力者が自分の治世を正当化するため、前の権力者を批判するのはよくあることで、明治政府も徳川幕府を批判しましたし、現在の自民党もまた民主党政権時代を「悪夢の民主党政権…」と批判しています。

とはいえ、信長の場合、濡れ衣度がひどい。

数々の残虐行為が信長の所業としてでっち上げられています。

前述のとおり、世間で信じられている信長の残虐エピソードは、ほとんど江戸時代の創作捏造です。

例えば、世間では「信長は短期で冷徹な性格」のように言われていますが(NHKの大河ドラマは常にこのスタンス)、信長は犯罪者や筋の通らぬ敵には容赦しませんでしたが、家臣や領民には実に優しい人でした。

一般の村人にお茶を出し、親しく話をするなどしています。

もしも信長が短期で冷徹な支配者だったら、村人たちは恐ろしくて呑気にお茶など飲みに来なかろうに。

あるいは初期のころの信長ほど、気が遠くなるほどの長い時間を要する兵糧攻めを多投した武将も少ない。

信長が敵軍よりも少ない軍勢で単騎突撃したのは生涯で3回ほどで、合戦にあたっては自分の兵力が相手の兵力の2〜3倍に達するまで常に忍耐強く待ち続けています。

比叡山延暦寺を焼き討ちしたことも信長の残虐性の象徴とされていますが、当時の延暦寺は現代の統一教会の100倍も悪質な宗教集団でした。

国家鎮護の霊場などと言いながら、戦を専らとする武将に力を貸し、僧兵を養い、鉄砲を備えて世俗の政治に口出ししたのみならず、現代の闇金業者顔負けの金貸しをやっては庶民を追い込み暴利を貪っていました。

すなわち、信長の焼き討ちにはそれなりの理由があったということです。

それからTVドラマなどでは、信長が荒木村重という配下の武将に刀を差した饅頭を食べさせたシーンがでてきますが、これも江戸後期に創作された嘘エピソードです。

ことのほか家臣たちに気を使っていた信長がそのようなことをするなどあり得ない。

それから、信長が浅井長政や朝倉義景の髑髏に金箔を塗り、それを盃に酒を飲んでいるシーンも映画やTVドラマ等でよくみかけます。

髑髏に金箔を塗ったのは事実ですが、それを盃になんかしていません。

後世の捏造です。

因みに、討ち取った敵将の首に化粧を施すのは、戦国時代ではよくあったことです。

ついでにもう一つ、武田に寝返った実の叔母を逆さ磔にして長く苦しめ処刑した、というエピソードをご存知でしょうか。

これなどはまったくの事実無根で江戸時代にも出典はなく、かなり近年になってから創作されたエピソードです。

ほかにも例を上げれば枚挙にいとまがありません。

信長だけでも、これだけの嘘情報が歴史的事実だと誤解されているわけですから、現代の私たちが信じる歴史には数え切れぬほどの嘘情報で溢れかえっているにちがいない。

であるからこそ、自分で正しい情報を取捨選択する能力が今まさに求められています。