ことしの春にフルオープンした麻布台ヒルズに聳える森JPタワーは、高さ330メートルを誇る日本一の超高層ビルです。(やがて、現在開発中の常盤橋Torch Towerに抜かれる見込み)
川崎市役所新庁舎の展望フロアーから都心を眺めると、森JPタワーが東京タワーよりもよく見えます。
その森JPタワーの北西側の真下あたりにサウジアラビア大使館があるのですが、その辺りには戦前、公益財団法人である原田積善会の本部がありました。
原田積善会の本部は運良く戦時中の大火を免れ、占領中は外務大臣公邸として使用されました。
昭和21年2月13日、ここにGHQ民生局長のホイットニー准将が3人の部下を引き連れて訪れます。
訪問目的は、GHQの憲法草案(マッカーサー・ノート)を日本政府に提示するためです。
出迎えたのは、外務大臣の吉田茂、国務大臣(法務担当)の松本烝治、通訳の長谷川元吉、それに吉田の使いっ走りの白洲次郎の計4人。
会議は午前10時からはじまった。
のっけからホイットニーのダメ出しで、「おまえたちが作った憲法草案では話にならん。マッカーサー元帥がお作りになったこの草案に基づいて憲法をつくれ!」とマッカーサー・ノート(GHQ草案)が提示された。
日本側の4人は驚きました。
因みに、驚いてみせた吉田茂ですが、実はこの前日、吉田はGHQからマッカーサー・ノートを密かに受け取っています。
この時点で既に吉田茂はGHQのイヌでした。
さて、吉田茂や松本烝治がGHQ草案に目を通している間、ホイットニーほか3人の部下は、庭に出て陽光を浴びつつ寛いでいました。
その時間は約40分。
再び、部屋に戻って会議が再開されます。
詰まるところ、日本側に反論の余地はなく、ホイットニーから「この草案どおりに憲法をつくらないと、陛下の安全は保障できませんよ」と言われて、11時20分には会談は終了します。
このマッカーサー・ノート(GHQ草案)を基に、日本語に訳して制定されたのが現在の『日本国憲法』です。
現在、この場所(旧外務大臣公邸=旧・原田積善会本部)に面する歩道の脇には「日本国憲法草案審議の地」と刻まれた石碑が立っています。
審議というより、一方的に恫喝・強要されただけなのですが…
石碑は、八木通商株式会社さんという会社が設置してくださっているようです。
お時間のある方は、ぜひ一度、見に行かれてはいかがでしょう。
住所でいうと東京都港区六本木1−8付近です。
そういえば、ホイットーニー准将が外務大臣公邸を退出する際、玄関まで見送りに出ていた白洲次郎に対し「おい白洲、部屋に帽子と手袋を忘れたから取ってきてくれ…」と言いました。
すると白洲は、「はいっ!」と言って、慌てふためき部屋に走っていきました。
そんな奴が、なぜか戦後は「GHQに恐れられた日本人」になった。