先日のブログにおいて、敗戦後、GHQに媚びと国を売って戦後の日本でカネと権力を得た「敗戦利得者」について取り上げました。
彼ら敗戦利得者が手に入れたのはカネや権力だけではありません。
なかには、GHQに媚びつつ、GHQが去ったあと急に「自分がいかにGHQと闘った英雄であるか…」という名誉を手に入れた敗戦利得者もいます。
その人の場合、名誉というよりも今や伝説もしくは神話にさえなっています。
やがては神社でもできそうな勢いです。
その人物の名は、白洲次郎です。
彼は占領時代、吉田茂の側近としてGHQに媚びに媚びに媚びまくった一人なのですが、GHQによる占領支配が終わって日本が国際法的に独立を回復すると、なぜか「白洲伝説」が生まれます。
例えば、白洲次郎の伝説の一つに次のようなものがあります。
イギリスへの留学経験があった白洲は流暢な英語を話していたらしいのですが、その白洲にGHQ高官であるホイットニー(民政局長)が「ミスター白洲、あなたは英語がうまいね…」と褒めたという。
すると、すかさず白洲が「あなたももっと勉強すれば、英語がうまくなりますよ」と言い返したという。
そんなことあり得るか、実に馬鹿げた話です。
占領下の日本でGHQの高官にそんなことを言ったら、その日のうちに巣鴨行きですよ。
もう一つ、白洲伝説をご紹介します。
マッカーサーへの陛下からの贈り物を、白洲がGHQ本部(第一生命ビル)のマッカーサーの執務室に届けに行った際、マッカーサーが白洲に「そこに置いておいてくれ」と言いました。
すると白洲が「陛下からの贈り物を地べたに直接置けとは何事か!」と一喝、一喝されたマッカーサーが白洲に「わるかった、わるかった」と詫びた…
吉田茂でさえマッカーサーに媚びまくっているのに、吉田の腰巾着の白洲ごときがどうしてマッカーサーに意見など言えよう。
これらはすべて占領後に創作された「与太話」です。
米国バージニア州ノーフォークにあるマッカーサー記念館に、白洲がマッカーサーにプレゼントした椅子が保管されているのをご存知でしょうか。
ケヤキで拵えられた椅子の背もたれには、白洲からマッカーサーへのメッセージが刻まれています。
そこには「私から、私が最も尊敬するマッカーサー元帥へ。白洲次郎、あなた様の最も忠実な下僕(しもべ)です…」
自ら下僕宣言する男が、どうしてマッカーサーに一喝などできようか。
それが戦後は、「GHQがもっとも恐れた男、白洲次郎!」になってしまったのです。
なぜ、このような白洲伝説が醸成されたのでしょうか。
おそらくは、GHQが日本から出ていった後、白洲が自身を英雄化するために創作し喧伝したのだと思われます。
戦後体制とは、この種の男が「GHQから恐れられた英雄」にすり替わってしまうほどに、数多の歴史的な虚にまみれているのでございます。