歴史の真実に肉薄する

歴史の真実に肉薄する

昨日は、地元の多摩区で『経世セミナー』が開催されました。

ご多用のなか大勢の皆様にご来会を頂きましたことに、深く感謝申し上げます。

あの敗戦から今年で79年が経ちますが、我が国は何のために大東亜戦争を戦ったのか、そして東京裁判(極東国際軍事裁判)とは何だったのかについて、今なお考察すべきことが多い。

ご存じのとおり、米国という国は30年が経つと公文書を公開します。

特別な場合を除いて原則公開です。

ゆえに、戦前、戦中の日本の行為が、公開されてゆく米国の公文書のお陰で手に取るようにわかってきました。

かつての敵国の公文書から、歴史の真実を知ることになるのは実に皮肉なことです。

このように言うと「日本にも公文書があるでしょうに…」と思う人たちがおられるかもしれませんが、日本にはありません。

なぜなら、昭和20年8月14日の御前会議で陛下が御聖断を下された後、鈴木内閣は「占領軍が進駐するまでに全ての公文書を焚書する」ことを閣議決定したのでございます。

これにより、一部の公文書を除いて、ことごとく焼却されてしまったのです。

公文書は、国民の財産であり「国史」そのものです。

これを焚書するとは、実に愚かな行為でした。

因みに、難を逃れて残った公文書の多くが、様々な経緯を経て米国にわたり保管されていたのです。

これらの公文書や資料から、これまで明らかになっていなかったことが判ってきました。

例えば、真珠湾攻撃を米国は事前に知っていたのかどうか?

その答えは「知っていた」ということになります。

なにせ米国側は、日本の陸軍、海軍、外務省の暗号を戦争のはじまる1年3カ月前に既に解読(解読率99.9%)していたことが公文書の公開によって明らかにされたのです。

よって米国は常に日本の内情を掌握しながら、日本を経済的に追い詰め、真珠湾に誘き寄せ、待ち受けていたのでございます。

真珠湾に米国空母が1隻も停泊していなかったのはそのためです。

なるほど、東京裁判で真珠湾攻撃がほとんど取り上げられなかった理由もわかってきます。

これからも『経世セミナー』では、こうした歴史の真実に肉薄していきます。