先日、他界したキッシンジャーが「食料をおさえれば、その国の人民が手に入る」と言っていたことは有名な話です。
また、ブッシュ元大統領も、米国の農業関係者を前にして次のように演説しています。
「食糧自給はナショナル・セキュリティの問題である。皆さんのおかげでそれが常に保たれている米国はなんとありがたいことか。それに引き換え、食糧自給できない国を想像できるか。それは国際的圧力と危機にさらされている国だ」
ここでブッシュ元大統領が言う「食糧自給できず、国際的圧力にさらされている国」とは、日本のことを指しているのではないかと言われています。
というか、日本は現実にそうです。
言わでもがな、食糧という資源は国家安全保障の根幹に関わる問題です。
といって、国内で食糧を生産できればいい、という単純な話でもありません。
食糧資源による支配の構造は、こうです。
「食糧生産」→「ロジスティック・加工」→「大消費地」
例えば、小麦を生産し、それを運搬して加工し小麦粉にする。
さらにそれをパンに加工して大消費地まで運搬する。
このとき、食糧生産地の確保のみでは支配に至りません。
生産からロジスティック・加工分野までを「自国の供給力」によって維持できたとき、支配力は最大化されることになります。
といって、消費するだけの国が常に弱いのかというとそうでもありません。
実は圧倒的な需要力(=購買力)もまた逆の意味で支配力強化につながるのでございます。
それはエネルギー安全保障の分野でも同じです。
食糧を生産するにしても、エネルギー源を生産するにしても、必ず「投資」が求められるわけですが、そうした投資が行われるためには、安定的に需要が見込めるという環境が必要になるのでございます。
生産し加工できたとしても「買い手がいない…」ということでは恐慌になってしまいます。
ゆえに生産者にとって安定的な買い手は、実にありがたい存在なのでございます。
例えば、国と国で考えた場合、ご存知のとおり日本は毎年、米国から配合飼料を安定的に大量購入(輸入)しています。
むろん、そうした日本の立場は弱いのですが、米国の穀物農家にとってはありがたいお客さんでもあります。
例えば、日本が突然に「もう米国からは買わない。ブラジルから買います…」となったら、それはそれで米国の穀物農家は困るわけです。
そうしたパワーバランスによって支配構造は成立しています。
一方、例え世界最大の生産国であっても、ロジスティックや加工の部分が欠けただけで飢餓が起きることもあります。
そうした事例は実際に起きています。
1891年のロシアです。
ロシアでは、秋に刈りとった小麦を冬に積もる雪の下で保存します。
いわば天然の冷凍庫なのですが、むろん降雪が少ないと乾いて枯れてしまいます。
1890年の冬はことのほか降雪が少なく小麦が枯死し、さらに不運なことに春には干魃となりました。
生産量が激減したわけです。
にもかかわらず、1891年春の収穫以降、ヴォルガ川流域の小麦とライ麦はバルト海沿岸向けに出荷され、倉庫は空の状態になってしまい大飢餓が起きました。
ロシア政府はルーブルを融資することで飢餓に対処しようとしたのですが、どんなにカネがあっても食べ物がないのでは意味がありません。
結局、不作に陥ったにもかかわらず、政府がロジスティックを管理できなかったことが決定的となってしまったのです。
ロシアは世界最大の小麦の生産国ですが、この飢餓で約50万人のロシア人が命を落としています。
食糧は「生産」だけではダメなのです。