忙しさにかまけて、私は約2年間、映画を鑑賞していません。
ついこのあいだ新年がスタートしたと思っていたら、はやくも新年度に入り、来月には次の市議会定例会がはじまります。
今日からは新年度の常任委員会(常任委員会は通年開催)もはじまり、なかなか時間をつくる余裕がないものの、この春、私としては絶対に観なければならない映画があります。
その映画とは、『オッペンハイマー』です。
「原爆の父」と呼ばれた理論物理学者J・ロバート・オッペンハイマーの半生を描いた映画で、3月29日から日本全国で上映がはじまりました。
全米では昨年の7月から公開されていますが、日本では8カ月遅れての公開となり、広島と長崎では既に特別試写会が開催されたようです。
さて、原爆投下を命令したのは、トルーマン米国大統領です。
当時、ポツダムにいたトルーマン大統領は7月24日に原爆の投下を正式に承認し、8月3日以降に広島、小倉、新潟、長崎のいずれかへ投下することになっていました。
「原爆は日本がポツダム宣言の受諾を拒否したから落とされた…」などとよく言われますが、ポツダム宣言は7月26日に発せられ、27日に日本に到着したものです。
トルーマン大統領が原爆投下の正式承認をしたのは7月24日ですから、日本のポツダム宣言受諾の遅れとは関係がありません。
また「戦争の早期終結により多くの米兵の生命を救う必要があった…」などとも言われますが、広島に原爆が投下される2ヶ月も前から日本はソ連を仲介として降伏する用意ができていました。
そのことを、日本の暗号を完全に解読していた米国が知らぬはずがない。
あるいは、「広島が軍港であったため狙われた…」とも言われることがありますが、爆心地は軍港ではなく市街の病院です。
そもそも爆心地が軍港であれ、病院であれ意味をなしません。
被害を測定するため、まだ空襲によって被害を受けていない都市が選ばれたのです。
さらには「はやく戦争を終わらせるためには仕方がなかった…」とも言われますが、それなら広島に原爆を投下した3日後に二発目の原爆を長崎に落とす必要性などまったくない。
二発目をどうしても落とさねばならなかったのは、種類の異なる原子爆弾の被害を比較測定しなければならなかったからであろう。
広島にはウラン型、長崎にはプルトニウム型。
ちなみに、長崎に落とされたプルトニウム型は「爆縮」という極めて高度かつ先端的技術が必要とされていたこともあって、念のために米国国内で事前に核実験されています。
実験場所は、ニューメキシコ州のアラモゴードでした。
一方、広島に落とされたウラン型は国内での実験をしていません。
なぜか?
広島が実験場所だったからです。
そのあたりが映画ではどのように描かれているのか、堂々と観てやろうじゃないか。