1945年の今日(3月26日)、米国海兵隊が沖縄慶良間列島に上陸しました。
苛烈かつ凄惨を極めた約3ヶ月にわたる沖縄戦のはじまりです。
フィリピンを落とした米国は、そのまま台湾に向かうべきか、沖縄に向かうべきかを迷っていたらしい。
日本は沖縄に頑強な要塞を築いていましたが、日本海軍は米国の太平洋艦隊が小笠原諸島に侵攻するものと推測し、日本陸軍は台湾に侵攻するものと推測していました。
ここで、帝国大本営は大きなミスを犯します。
せっかく沖縄にいた精鋭部隊を慌てて台湾に送り出してしまったのです。
ところが、すでに完璧に暗号が解読されていたこともあり、精鋭部隊を移送していた船が米国海軍の潜水艦によって撃沈されてしまいました。
これだけで、約4,000名の命が失われています。
また、沖縄には一般市民もおられましたので、14歳以下、60歳以上の沖縄市民を内地に疎開させなければならないと大本営は考えました。
しかし、それらの疎開船もまた対馬丸を含め三十数隻が沈められています。
対馬丸には疎開する14歳以下の約1,500人の子供たちが乗船していましたが、米軍の魚雷攻撃によって沈められ、その全ての幼い命が奪われています。
要するに日本軍の情報は米軍に筒抜けで制海権をも失っていましたので、もう島からは出られなくなっていたのです。
すなわち、沖縄県民に残された道は、島のなかで日本兵とともに戦うしかなくなってしまったのです。
言うまでもなく、一般市民をも巻き込んだ沖縄戦はそれはそれは凄惨な戦いでした。
同年6月23日に沖縄戦は終結しますが、戦闘が終わり、日本兵の強さ、沖縄市民の強靭さに驚き畏敬の念を抱いたのは米兵です。
ここでいう米兵とは、米軍の将軍、一般将校、一兵卒もすべてが含まれるといっていい。
兵士でもない女性や子供が竹槍だけをもって完全武装した米兵に突撃していくことなど、誰が考えられようか。
1,780人いた鉄血勤皇隊のなかには、爆弾を抱えたまま米軍の戦車の下にもぐりこんで爆発させた14歳の子供さえいます。
ひめゆり学徒隊、しらうめ学徒隊は看護隊として命がけで戦場を走り回ったのは周知のとおりで、ひめゆりの挺身隊の半分は戦死されています。
しらうめ学徒隊も3割以上は戦死されています。
のちに米軍は、ドイツ攻防戦と沖縄攻防戦を比較して「ドイツよりも圧倒的に武器で劣っていた日本兵と沖縄住民のほうがはるかに勇敢で強かった」と評しています。
このように先人たちが凄まじい精神力と行動力で守ろうとした日本に、今、私たちは生きています。
文字どおり、命を懸けて守ろうとした日本です。
その基盤の上で、私たちは豊かさを享受しています。
にもかかわらず、残念ながら、こうした先人たちのことを知らぬ日本国民は少なくありません。
歴史を知らない人は、自分の両親を知らない人、本当の自分を知らない人です。