今朝の空は、どんよりとしています。
母いわく、53年前の今日もこのような空模様だったらしい。
昭和46年の3月23日、午後1時42分、私はこの世に生を受けました。
そのころの日本は既に高度経済成長期を経て、国民生活は豊かさを享受しはじめていたころだったのでしょう。
とはいえ、昭和46年といえば、あの敗戦からわずか26年目のことで、独立を回復してから20年も経っていません。
むろん、子供の頃は政治のことなど考えもしていませんでしたが、物心つき大人になって政治の世界に入ってからというものは、「敗戦国の惨めさ」というものを嫌というほど痛感するに至りました。
占領政策を担っていたGHQが、日本国民から愛国心を奪うために東京裁判史観による歴史教育を施してきたことについては、今日では誰もが知るところですが、私が子どものころはそんなことは思いもよらぬことでした。
ひたすら学校では、「とにかく日本はアジアを侵略した悪い国で、米国様に戦争を仕掛けたものの、負けたことで反省をさせられ、戦後ようやく良い国になった」と教わりました。
しかしながら、心ある識者たちのご努力によって、近代史の真相が徐々に明らかになって、かのマッカーサー自身が「日本が戦争に踏み切ったのは主として自衛のためであった…」と米国議会で発言していることも知りました。
東京裁判(極東国際軍事裁判)の判事のひとり、ラダ・ビノード・パール博士もまた「あれだけ経済閉鎖されたら、ルクセンブルクのような小国でも武器をもって立ち上がったであろう…」と述べられています。
一方、さらによくよく調べていくと、当時の日本国内(軍部内)には日米開戦を仕掛けた裏切り者(国賊)がいたこともわかってきました。
今後益々、歴史的研究が進むにつれ、さらに衝撃的な事実が明らかになっていくことでしょう。
さて、敗戦国となった日本は、その後、占領政策から終了して昭和27年4月28日に主権を回復したことになっていますが、未だに属米主権などと揶揄される政治状況が続いています。
明治維新から昭和20年の敗戦までが77年、昭和20年の敗戦から、ことしでもう79年です。
いつまでも属米政治を嘆いている場合ではないのですが、残念ながら未だ日本は国の内外において主権国家としての振る舞いができません。
それはなぜか…
敗戦利得者による支配が、政治・経済・司法・教育機関・メディアの各分野において続いているからです。
例えば政治分野でいえば、自民党こそ敗戦利得政党であり、マッカーサー体制(占領憲法体制)の上に成立し、いまなお続く属米政党です。
保守を掲げつつも保守政党らしい態度をとることができないのはそのためでしょう。
先般の川崎市議会でも、私を含む無所属有志が提案した決議案(簡単に言うと、外国人地方参政権に反対する決議案)に対し、保守政党を自認する自民、維新がなぜか退席(維新の一人が造反で賛成)しました。
保守を名乗るなら、堂々と私たちが提案した決議案に賛成すればいいものを、それができない。
政治家の端くれとしての私の戦いは、まさに敗戦利得者たちとの闘いといってよく、今後も反撃の手は緩めません。
と同時に、今後とも、常に歴史の叡智に学び、失われつつあるものを憂い、良きものを破壊から守る真の保守主義者でありたい。
もしも叶うなら、その姿を子どものころの自分に見せてあげたいと思ったりもした。