我が国において祭祀には、①宮中祭祀、②先祖祭祀、③英霊祭祀、の3つがあります。
本日2月17日、宮中祭祀の一つである「祈年祭」が行われます。
祈年祭とは、春の耕作はじめにあたり五穀豊穣を祈る祭祀です。
「とし(稲)ごい(願い)のまつり」とも称されます。
五穀の豊穣を願う祭祀ながら、稲の育成周期が日本人の一年といえることから「とし(稲)ごい(願い)」なのかと思われます。
春には豊作を祈り、秋には収穫に感謝する。
この営みを、わが国は2000年以上にわたり繰り返してきたわけですが、その中心には常に天皇陛下によるお祀りがあったわけです。
その意味で、天皇(皇室)と神社こそ、我が国が育んできた日本文明の象徴といっていい。
もしも、この二つの存在を失ったら、日本は日本でなくなります。
『万葉集』(巻第五)には、山上憶良が詠んだ次の歌があります。
「大和の国は 皇神(すめがみ)の厳(いつく)しき国 言霊(ことだま)の 幸(さき)はふ国」
すなわち、古来よりわが国は、皇祖神が神威のいかめしさをもって加護している国なのでございます。
そもそも宮中祭祀は、むろん公的行事だったわけですが、戦後、左翼系の憲法学者らが占領憲法(第20条)を異常なまでに拡大解釈し、いつしかそれが定説となってしまい、今日では皇室の私的行事(内廷行為)にされてしまいました。
そのために、国民が感謝をもって共有すべき宮中祭祀が、国民から隔離されてしまったことは誠に残念です。
占領憲法の第20条を執筆したのは、GHQ民政局に所属していたロウスト陸軍中佐だと言われています。
日本の左翼からみるとGHQとは、まさに「解放軍」だったようで、彼ら彼女らは見事なまでにGHQの期待に応えたわけです。