日本書紀を忠実に解釈すると…

日本書紀を忠実に解釈すると…

本日は2月11日、紀元節です。

法令上、紀元節は「建国記念の日」であって、「建国記念日」ではありません。

他の祝日については祝日法で日付を定めているのに対し、この日(紀元節)のみが「政令で定める日」として2月11日に定められています。

その経緯について知っている国会議員、地方議員、あるいは知事や市長などの首長はどのくらいいるのでしょうか。

実は、『日本書紀』によれば、立春が元旦であり紀元節となっています。

神武肇国ついて『日本書紀』には「辛酉年春正月 庚辰朔 天皇即帝位於橿原宮」とあります。

神武天皇が橿原宮で即位されたのは、辛酉年春正月とのこと。

辛酉(かのととり)の年の「春正月」というのは、辛酉の年の「立春」のことですね。

ちなみに、辛酉というのはChinaの讖緯説に基づくと、この年に革命が起こるとされる年で、そのため日本では一部の例外はあるものの、歴代この年に改元がなされてきました。

前述のとおり『日本書紀』には、神武天皇の即位した日が「庚辰朔」、すなわち「庚辰」(かのえたつ)の「朔」(ついたち)である元旦にあたるとなっています。

ところが、この年の春正月(立春)に「一番近い」庚辰の朔日がグレゴリオ暦で換算すると「2月11日」にあたるとして、紀元節をグレゴリオ暦では2月11日に定められたわけです。

紀元節を法律的に定めたのは1873(明治6)年のことですが、1948(昭和23)年にGHQ(占領軍)の意向で紀元節は廃止され、1966(昭和41)年に「建国記念の日」が政令により制定されました。

これが2月11日を「建国記念の日」とした経緯です。

しかしながら、この考えは『日本書紀』を忠実に解釈したものとは言えません。

なぜなら、「立春に一番近い庚辰の朔に即位した…」などとは『日本書紀』のどこにも書かれていないからです。

『日本書紀』を忠実に解釈するなら「辛酉の年の立春と庚辰の朔の元旦とが一致した日に即位された」となり、要するに神武天皇が即位された日は「立春」であり、それが庚辰の朔の元旦と重なったということです。

だとすれば、暦計算により、十干十二支の60年周期の「辛酉」の年の「庚辰」の「朔」が元旦となる日は、これはキリスト教暦の紀元前660年ではなく、もっと以前の年になります。

したがって、神武肇国はこれよりさらに数百年ないし数千年前にまで遡ることになり、わが国の歴史はさらに深まるわけです。

いずれにしても、立春が神武肇国となる橿原宮での即位された日ですので、本来であれば、紀元節は「立春」とし、立春を元旦とすべきなのでございます。