酒場の政治談義、あるいはテレビ番組や政治行政の世界ではよく「日本にはスティーブ・ジョブズがいない…」と言う人がいます。
たいていの場合、この種の人たちは日本にジョブズのような経営者が生まれない理由として「国民性」や「教育問題」を挙げます。
なお、新自由主義者や主流派の経済学者に言わせると、「政府が企業を支援したり甘やかしたりするとイノベーションは起きず、イノベーションの土壌がないところにジョブズのような天才など生まれようがない」となります。
妙なメガネをかけ、なぜか昨今では「天才経済学者だ…」などと持て囃されている某学者は、「日本でイノベーションを起こすためには、規制を緩和して企業に対する過度な弱者救済を無くすことが必要だ」としています。
しかしながら、この手の話は全て嘘であることが今や明らかになっています。
評論家の中野剛志先生もご指摘のとおり、イノベーションは自由なる競争市場が引き起こすものではありません。
かの有名なマリアナ・マッツカートなどは「イノベーションを起こす決定的要素は、国家による手厚い支援である」とさえ言い切っています。
なるほど、そもそもApple自体が、米国政府(国防総省など)が主導する軍事技術開発があったればこそ成長できた企業です。
つまり米国という国家がAppleを支援し「甘やかした」からこそ、スティーブ・ジョブズは天才的経営者と呼ばれるまでに至ったわけです。
このマリアナ・マッツカートもまた、既存の主流派経済学の常識を覆す天才学者の一人ですが、昨今では主流派経済学の矛盾を指摘している経済学者は少なくありません。
マッツカート以外にも、ノーベル経済学賞受賞者であるジョセフ・スティグリッツ、ポール・クルーグマン、ポール・ローマーなどもそうですし、米国の財務長官、あるいは大統領の首席経済顧問やハーバード大学学長などを歴任したローレンス・サマーズなどは経済学を「無駄でしかない…」と評しています。
我が国は1995年以降の約30年間、この間違った経済学の理論により「緊縮財政(財政収支の縮小均衡)」が正当化されてきました。
そしてこの緊縮財政こそがデフレを引き起こし、経済低迷を長期化させ、日本国民の実質賃金を引き下げ我が国を衰退させたのです。
なお緊縮財政によって最も被害を受けた事業予算は、「無駄」というレッテルまで貼られたインフラ整備(公共事業)です。
しかし、今では明らかとなりました。
本当に無駄だったのは「公共事業」ではなく「経済学」だったのだと。