能登半島地震の被災地では、今なお15,000人を超える被災者が避難所生活に苦しんでおられます。
多くの避難所で断水が続き、トイレが使えないうえに停電が続いているところも少なくないようです。
むろん、避難所だけではありません。
道路網の寸断等により集落そのものが孤立状態にあるなど、支援を求めている人々が数多く残されています。
被災地の高齢化率は50%を超えていることから、医療を必要とする高齢被災者へのケアがどうなっているのかが実に懸念されます。
例えば、仮に健康な高齢者であっても口腔内ケアを怠れば発病リスクは高まるわけですが、水がなければ口腔ケアさえ満足にできません。
これまで当該ブログでも再三にわたり主張し続けてきたことですが、国民にとって真に大切なものとは「おカネ」ではなく、様々なモノやサービスを「供給する力」です。
人は水を飲まなければ3日で、食にありつけなければ3週間で死に至ります。
仮に地震や津波による死から逃れても、被災現場に水や食料や医療品が届かなければ万事休すです。
被災地域の各市町村は、予めそれなりの備蓄量を確保していたようですが、それでも圧倒的に不足しているそうです。
なぜなら、地震発生が元旦ということもあり、年末年始に帰省した方々の分、人口が増えていたからです。
現実は得てして想定通りにはいかないもので、これもまた人間の理性には限界があることの証左です。
ゆえに超自然災害大国である我が国においては、①弛まなく継続的なインフラ整備により次なる震災に備えねばならず、②可能なかぎり分散して暮らし、③いざというときには「お互いに助け合う」ナショナリズム(同胞意識)が必要となります。
残念ながらこの四半世紀、我が国では緊縮財政論が長期的なインフラ整備を阻害し、効率化を求めた東京一極集中が地域分散を不可能にし、歪んだ自己責任論がナショナリズムを破壊してきました。
要するに、①②③を悉く破壊したものは「新自由主義」です。
いま被災地では、陸上輸送、海上輸送では届けられない地域が多いため、ヘリコプターによる物資輸送が続いています。
にもかかわらず、ほぼ被害のなかった地域の住民から「日夜、ヘリコプターの音がうるさい…」という苦情がでていると仄聞しております。
これもまた、ナショナリズムの欠如の現れか…