ことしは元日に能登半島が大きな地震と津波に襲われたこともあって、今尚お苦しみになられている被災地に思いを馳せば、新たな年の幕開けを賀する行事に出席することが心情的にも憚られるところですが、私の地元川崎市多摩区では各種団体の新年会が真っ盛りです。
ご承知のとおり、式典には恒例の「肩書の付いた方々のご祝辞」がつきものですが、それぞれ拝聴しておりますと、誠に欠礼ながら今年は特に胸糞の悪い気分になります。
たいていの場合、さも自分は平素から災害について考えているような話をされますが、話の内容は報道ベースの被害状況をただなぞっているだけで中身はほぼゼロ。
某団体の長などは、「(地震に対しては)心構えが大事だ…」と、恥ずかしげもなく豪語していました。
心構えで災害に立ち向かえるなら誰も苦労はしない。
昔、相手の体に触れることなく「気だけで敵を倒せる…」と豪語していた空手家が、対戦してみたらボコボコにやられて救急車で搬送されたという話が実際にありましたが、それと同じか。
バッチをつけた人の中には「自助」と「共助」の大切さを強調する人が多いのですが、最も大切なのは公助(行政によるハードとソフト両面のインフラ整備)だろうに。
まずは、自分が議員として「公助」の整備のために、どれだけ議会で発言してきたのかを振り返ってみよ。
公助を確立することが議員や首長の仕事なのですから。
手前味噌ですが「非常時に備えて、もっと公務員を増やせ」と市議会で言い切ってきたのは私だけです。
それからもう一つ、例の「ご祝辞」で妙にイラつかせるのが、「一方、世界に目を向けてみますと…」です。
例によって、まるで普段から国際情勢に目を向けている風な物言いなのですが、これもまた「世界各地で紛争が耐えません…」と言ってただ単に慙愧の念を表するだけで中身ゼロ。
ふだん、お祭りや盆踊りなどの地域行事ぐらいにしか関心がないくせに。
このように、5千円から1万円という安くない会費を払わされ、この種の空虚な「ご祝辞」を聞かされるために貴重な時間を奪われるのがこの仕事の辛いところです。
さて、残念な「ご祝辞」の極めつけは、長々と中身のない話をした後に、これまたお約束の「皆様のご健勝とご多幸を祈念申し上げます…」です。
とりあえずこれを言って締めておけばいい、という安易な発想には辟易とします。
これを聞かされるたびに、ご多幸は要らないから何か気の利いた話をするか、話を短くするかのどっちかにしてほしい、と心の中で思っているのは私だけでしょうか。