今回の地震は「令和6年能登半島地震」と名付けられたようですが、元日の16時から17時の一時間の間にマグニチュード5以上の地震が4回も発生し、そのなかでも2回目の地震がマグニチュード7.6となり、これが能登地方(石川県志賀町)で震度7の揺れをもたらしたようです。
地震活動はそれだけに収まらず、4回目(16時56分)の地震発生以降、1月2日の15時までに、震度1以上を観測した地震が180回以上も発生しています。
気象庁によれば、今日から6日までの北陸地方の朝の最低気温は、4度前後とのことです。
道路網が遮断されている地域が多数あるなか、被災されている皆さんへの支援体制がどうなっているのか実に気になるところです。
川崎市には2機の消防ヘリと、訓練された優秀なる救助チームが常備されておりますので、すでに市長が現地や政府との調整を済ませ出動命令を下しているものと期待します。
困ったときはお互いに助け合うのが、ナショナリズムです。
ナショナリズムを国家主義だの民族主義だのと意訳するお〇〇さんが多い昨今ですが、ナショナリズムとは国民同士の助け合い精神そのものです。
さて、歴史をみても我が国で多くの国民に犠牲者が出るのは、自然災害が発生したときです。
むろん、戦争や紛争による死者も決して少なくはありません。
例えば、あの大東亜戦争では、将兵や民間人を含めて310万人もの日本国民が命を奪われていますが、それでも歴史的には自然災害による死者のほうが圧倒的に多い。
大地震や台風、水害、土砂災害、津波、高潮などの自然災害によって我々日本人は同胞を失ってきたのです。
一方、ユーラシア諸国では、自然災害よりもはるかに多くの人々が戦争や紛争で亡くなっています。
彼ら彼女らは自然ではなく「人間」に殺されてきたわけですが、災害死史観の日本国民にとって巨大災害は「避けられない災厄」なのです。
すなわち、私たち日本人は、予測できない災厄に絶えず怯え続けなければならない宿命を負っています。
紛争死史観のユーラシア諸国と、災害死史観の日本国とでは、文化や文明面においても様々な違いがあります。
例えば、紛争死史観のユーラシア諸国の都市の多くは城壁都市であるのに対し、災害死史観の日本では城下町。
家屋の扉についても、紛争死史観の国々は内開きであるのに対して、災害死史観の日本は外開きです。
実はこれらの違いが、災厄への対処の違いにもつながっています。
紛争死史観の国々は、次なる戦争や紛争への対処として事前に武器を備え計画を立てますが、逆らえぬ大自然の脅威に晒されている我が国では、災厄を諦観し、その後、救援・復旧・復興すればいい、と考えがちです。
ここに、我が国において「防災インフラ」の整備が遅れている根源的な理由があるような気がします。
一部の人たちが言っている「財政が厳しいから…」という理由は、そもそも事実ではないし後付けにすぎない。
ハード面、ソフト面の両面において防災インフラを整備すればするほどに、多くの人命のみならず、その地に住んできた人々の生活や思い出、あるいは文化や歴史や伝統をも守ることができるのです。