信長の手紙

信長の手紙

真実に肉迫していない歴史では、教訓たり得ない。

しかし残念ながら、現在の我が国では、多くの人たちが小説やTVドラマなどの影響を受けて歪められた歴史を理解しています。

歴史に全く興味のない人が、歴史に関心を持つきっかけとして、小説やドラマが果たした役割は確かに大きいかもしれませんが、小説やドラマはあくまでもフィクションです。

代表的なのは、坂本龍馬。

例えば、「龍馬がつくった亀山社中が日本初の商社(株式会社)だ…」というのは嘘で、幕臣・小栗忠順がつくった「兵庫商社」こそ、日本初の商社(株式会社)です。

それから「海援隊が日本の海軍の祖…」というのも嘘。

船中八策や大政奉還の発案も坂本龍馬のオリジナルではないし、薩長同盟の必要性を訴えていたのはもともと中岡慎太郎であって龍馬はただそれに乗っただけ。

「日本で初めて新婚旅行をしたのは坂本龍馬…」というのも、まこと苦笑するほかない。

むろん、坂本龍馬に罪はありません。

そのように仕立てたのは坂崎紫瀾や司馬遼太郎の小説であり、それを鵜呑みにして現実のものと錯覚している人たちが多いということです。

さて、現代人から多くの誤解を受けている歴史的偉人のもうひとりは、織田信長です。

小説やドラマでは、例によって信長が光秀を厳しく叱責し折檻を加えるなど、家臣には実に厳しい武将として描かれていますが、それらは信長の死後、とりわけ徳川時代の創作により捏造された虚像です。

しかし事実は、信長ほど家臣を大切にした武将はいない。

例えば、秀吉の度重なる浮気に悩んでいた寧々(ねね)に対する信長の書簡(手紙)が、今も史料として残っています。

それを読んでみると、信長の優しい人柄を感じざるを得ません。

手紙には、次のように記されています。

「このたびは安土城を初めて訪ねてきてくれてとても嬉しかった。

その上、筆では書けないような見事なお土産まで持ってきてくれてありがとう。

何かお返しをと思ったが、あなたのお土産があまりに素晴らしかったので、用意していたものが見劣りしてしまった。

今回は渡すのをやめて、この次にでもきちんとしたものを渡そうと思う。

あなたの美貌も以前に会ったときと比べて倍ほど美しくなっているように思う。

秀吉が寧々のことで不満を言うのは言語道断でとんでもないことだ。

どこを訪ねても、あのハゲネズミにはあなたのような女性を見つけることなどできない。

だからこれから先は陽気にふるまい、武家の奥方らしく気持ちを大きく持ってやきもちなどはやかないように。

夫を立てるのが女子(おなご)の役割でもあるから慎み深く世話をしてやってほしい。

正室として秀吉に言いたいことがあるときは、全てを言うのではなく、ある程度に留めて言うのがいいであろう。

この手紙は秀吉にも見せること。

かしこ 秀吉の妻へ」

あくまでも寧々と秀吉の仲が円満にいくように、細心の注意が払われた手紙ですね。