政治行政に携わる者に求められる最低限の教養は、貨幣観と国家観です。
この2つを持ち合わせていない議員は国会議員であれ地方議員であれ、首長を含めて政治家とは言えず、ただの政治屋、選挙屋の類です。
正しい貨幣観を持つためには、正しく「貨幣の歴史」を知らなければならないし、正しい国家観を持つためには、正しく「国家の歴史」を知らなければならない。
よって必然的に、その中核には「正しい歴史観」が求められます。
では、正しい歴史観とは何でしょうか。
少なくとも、いかに真実に肉迫しているかどうかです。
真実に肉迫した歴史観とは、GHQが作り上げた自虐史観に染まるわけでないことはもちろんのこと、甘い神話に溜飲をさげて臭い部分には蓋をするような「お花畑史観」であってもなりません。
私は、真実を知ることこそが我ら日本国民の鎧であり、日本を守る盾であると思っています。
しかしながら明治以降の我が国では、薩長史観とGHQ史観という「偽りの歴史観」が世を支配しているために、多くの日本国民が真実を見失っています。
真実に基づかなければ、正しい教訓は得られない。
とりわけ、薩長史観については、多くの日本国民がNHKの大河ドラマや小説や映画によって幕末史を学んでしまうことの弊害が大きい。
幕末の英雄として知られている坂本龍馬は、果たして司馬遼太郎が言うほどの英雄だったのでしょうか。
例えば、龍馬といえばお馴染みの「亀山社中」ですが、多くの日本人が「亀山社中は日本最初の株式会社」だと誤解していますが、それは嘘で、薩摩の派遣社員として雇われていた土佐浪人たちが、たんに薩摩の命令で荷物を船で運んでいたに過ぎません。
しかも、その船は薩摩藩名義で購入されたものでした。
それに、社中を主催したのは坂本龍馬でもなく、土佐浪人の近藤長次郎でした。
因みに、社中の名に「亀山」という冠がつけられたのも明治以降の創作で、日本最初の株式会社といえば、幕臣・小栗忠順の肝入で設立された「兵庫商社」です。
加えて、龍馬が開設した海援隊が日本の海軍のはじまり、というのも嘘。
薩長同盟は龍馬の仲介努力によって成立した、というのも嘘。
船中八策は龍馬独自の構想、というのも嘘。
龍馬とおりょうの九州旅行が「日本最初の新婚旅行」、というのも嘘。
とにかく龍馬については、嘘、嘘、嘘の連続なのです。
その嘘が神格化されて、今では高知の空港名に「龍馬」という名が冠され、桂浜の龍馬像には「坂元龍馬先生」とまで刻まれるに至っています。
その意味で、司馬遼太郎さんの作家的な罪は大きいとも言えなくもないのですが、司馬さんを擁護しなければならないのも事実です。
なぜなら司馬さんは、小説『竜馬がゆく』で描いた竜馬は、あくまでも「竜馬」であって「龍馬」ではない、と言っていました。
なるほど、正式名称は「龍馬」です。
だから司馬さんは、私の書く竜馬は「架空の龍馬」ですよ、と予め言っていたのです。
であるのなら、小説と史実をごっちゃにしてしまった責任は司馬遼太郎さんにはない。
坂本龍馬の話は一例です。
このように、昭和史を含め近代史には偽りと嘘が特に多い。
今を生きる私たちは、歴史の教訓を正しく活かすためにも、真実の歴史に肉迫する努力を怠ってはならない。