一昨日の11月22日、川崎市議会では文教委員会が開催され、本市が進めている多文化共生事業について、所管局である市民文化局から『多文化共生社会推進指針の改訂版(案)』が示されました。
所管課による説明を聞きつつ、資料にざっと目を通していたところ、資料には外国人市民の社会参加に関する記述があったのですが、それはそれは恐ろしく、かつビックリする記述がありました。
ついに来るところまで来たか…という内容です。
それは、次の文言です。
「地方参政権の実現については、他の自治体と連携しながら国に働きかけることを検討します」
なんと、川崎市は「外国人市民の地方参政権を国に働きかけることを検討する」というのです。
すなわち、川崎市は行政として「外国人地方参政権」の実現にむけ国に働きかける方向で舵をきったことになります。
私は仰天しました。
要するに福田市長は、多文化共生の名の下に「外国人への地方参政権の付与」を具現化させようと目論んでいるようです。
ここまで堂々と公的文章にして議会に報告してくるのですから、実現にむけてそれなりの覚悟をもって臨んでいるのでしょう。
一昨日の文教委員会では、この件について異を唱えた委員(議員)は残念ながら私だけでした。
なぜか自民党からも異論はでませんでした。
私は断固として外国人地方参政権の付与には反対します。
そもそも参政権は、憲法が「国民固有の権利」(憲法第15条)と明記し、国民主権原則の根幹を成すものです。
屈辱的な占領憲法ですら、参政権は国民固有の権利だ、と言っているのです。
つまり、参政権が例え地方自治体の選挙に限ったものであるとしても、あるいは選挙権(投票権)だけに限定したとしても、我が国の国民主権を侵すものです。
また、外国人への参政権の付与は外患誘致の可能性を高めるだけではありません。
日本国民と外国人の権利を同等にしてしまうことは、日本国民が日本国民で無くなることを意味しています。
なぜ、それを理解できないのか。
地獄への道は、善意や美名というレンガによって敷き詰められているものです。
多文化共生……確かに美しい言葉です。
福田市政が、多文化共生という美名の下に外国人地方参政権の具現化を目指すのであれば、このような市長は一刻も早く倒さねばならない。