昭和20年9月2日、我が国の全権代表である重光葵外相は、東京湾に浮かぶ米戦艦ミズーリ号の甲板において屈辱的な「降伏文書」に調印しましたが、この日の東京湾上空は雲が低く垂れ込めて鉛色の空だったらしい。
思えば、この日から我が国の新たな戦いがはじまった、と言っていい。
4年にわたって国力のすべてを注ぎ込み、日本国民だけでも兵士と民間人を合わせて310万人もの死者を出した日米大戦は、この日、幕を下ろしたわけですが、この調印が終わった僅か数分後、マッカーサーは日本占領を目前に次のように演説しました。
「精神の再復興と人類の性格改善が行わなければならない…」「まず精神からはじめなければならないのだ…」と。
すなわち、日米大戦の幕が下りたまさにこの日、我が国の「精神」をめぐる戦いの火蓋が切られたのです。
マッカーサーが描いた計画は、彼のイメージするところの「日本の古くて野蛮な伝統を文化」を消し去り、「先進的で民主的なキリスト教」で上塗りすることであったにちがいない。
彼はまず手始めに、日本の古き良き伝統を消し去るために日の丸の掲揚を禁じさせ、修身、地理、日本史の授業を廃止するなど、我が国の教育にまで手をつけました。
また、武士道や歌舞伎など、我が国の伝統を描いた映画すらも禁止しました。
要するに、日本国民としての愛国心、誇り、道徳、歴史、文化などなど、長い年月をかけて育まれ、脈々と受け継がれてきたものを悉く否定し消滅しようとしたわけです。
そして消滅した空白に、キリスト教を流し込みはじめたのです。
キリスト教の布教に欠かせない聖書は日本が降伏する2年も前から、ポケット聖書連盟に用意させていたほどの周到さです。
当時の日本の人口は約7,200万人ですが、それに対しGHQは1,000万冊(7人に1冊以上)の聖書を惜しげもなくばらまいたわけです。
さらには、海外からの渡航が厳しく制限されていたなか、マッカーサーは自身の権力を使って宣教師を呼び寄せました。
その数は約3,000人を超えました。
いかにマッカーサーが日本のキリスト教化に執念を注いでいたかがよくわかります。
その一環として国内に設立されたのが国際基督教大学です。
お蔭で、戦後は吉田茂みたいにキリスト教徒の首相が誕生したり、ご皇族の方までが入学されたりする始末です。
因みに、吉田茂はCIAのエイジェントであったことが既に判明していますし、皇室では聖書を学ぶ「バイブルクラス」が開かれていたほどです。
しかしながら、マッカーサーの思惑通りにはなりませんでした。
現在、我が国におけるキリスト教徒の信者数は200万人未満で、日本人全体の僅か1.0%程度にしかすぎません。
つまりは、GHQが行った占領政策の中で、「日本のキリスト教化」だけは唯一失敗した政策だったと言っても過言ではないでしょう。
数ある占領政策はほとんど成功したにも関わらず、なぜ「キリスト教化」だけは失敗したのでしょうか。
そこには、日本国民を守るために大きなリスクを背負ってGHQとの駆け引きを繰り広げられた昭和天皇の孤独な戦いと、それによる大きなご功績があられたのだと拝察します。
当時の陛下は、皇室内でもキリスト教の側近に囲まれ、国外からは処刑を求める非難の声にさらされていました。
そんな苦悩の中にあっても陛下は闘ってくださいました。
敗戦によりGHQに奪われたものはたくさんありますが、昭和天皇は日本が日本であるために必要なものの根幹だけは孤独な闘いのなかでお守りになってくださったのです。
現在の我が国が、防衛や外交面において主体性がないこと、あるいは経済力が衰退していること、国民が様々なフェイクニュースに洗脳されていること、我が国固有の伝統や文化が徐々に失われつつあること、これらはすべて今を生きる私たちの責任です。
私たちは、いつまでも現状の危機を敗戦や占領政策のせいにしてはいけないのです。