昨年来のコストプッシュ・インフレもあって、日本経済が未だデフレの中にあることが忘れられがちですが、我が国経済は1997年以降、すなわち26年間にわたって一貫してデフレなのです。
デフレとは、日本国内の供給能力に対して相対的に需要が不足する現象です。
本来、正常な経済であれば「供給 < 需要」の状態となるべきところ、日本では長きにわたり「供給 > 需要」の状態となってきました。
要するにデフレとは、本質的には「総需要が不足する」という現象であり、物価が下落するのはその結果的現象です。
では、どうしてデフレになったのか?
まず、1991年のバブル崩壊により、日本企業のバランスシート(貸借対照表)上の資産の一部の資産価値が大幅に下落し、企業の多くが自己資本比率を減らし、あるいは債務超過状態に陥りました。
傷ついたバランスシートを修復するために企業は、設備投資などの支出を減らしました。
企業は本来、株式市場や銀行からおカネを調達して設備投資などを行い、生産性を向上させることで利益を拡大させる経済主体です。
そうした経済主体がおカネを借りることなく支出を減らし続けたわけですから、需要が落ち込むのも当然です。
これだけでも日本経済には大きな打撃です。
なぜなら、経済というものは、誰かがおカネを借りてくれなければ絶対に成長しないものだからです。
それでも、国内の企業がおカネを使わない分、代わって日本政府が財政支出を拡大(需要創出)してくれていたので、1997年までの日本経済はそれなりに成長していました。
ところが、1995年11月、時の内閣(村山内閣,武村蔵相)が、なぜか「財政危機宣言」を発してしまったのです。
変動為替相場制を採用し、自国通貨建てで国債を発行している日本政府に財政破綻するリスクなどゼロであるにもかかわらず。
この宣言を受けるかたちで、翌年の7月に財務相の諮問機関である財政制度審議会が「財政構造改革を考える―明るい未来を子どもたちのために―」なる報告書をとりまとめ、同年12月に「早期に財政を健全化すべし…」という答申を政府に提出したのです。
その時の政府とは、橋本内閣です。
橋本内閣は答申の内容をそのまま素直に受け止め、1997年から緊縮財政(財政収支の縮小均衡)を開始。
政府、企業という2大経済主体が大幅に支出を減らしたことで、一気に需要が落ち込み、この年から日本経済はデフレに突入することになりました。
以来、今日にいたるまで我が国経済は一貫してデフレです。
因みに、ご他界された橋本龍太郎元首相は、財務省にそそのかされて緊縮財政をはじめてしまったことを晩年まで大いに悔やまれていたそうです。
再度、自民党総裁選に立候補された際には「二度と過ちは繰り返さない!」と発言されておられましたので、もしも橋本さんが再登板していれば、直ぐにでもデフレを脱却していたかもしれません。
さて、なぜデフレではダメなのか…
多くの政治家や官僚が、そのことを理解していないから困りものです。
何度も言うように、デフレという総需要不足が続いてしまうと、日本国内でのモノやサービスをつくる力(ヒト、モノ、技術)が失われていくからです。
そのことは、上の表をみて頂ければご理解頂けるものと思います。
このたび、IMF(国際通貨基金)が世界経済の見通しを発表したところ、日本のドル換算での名目GDP(国内総生産)が2023年にドイツを下回って4位に転落することが明らかになりました。
むろん、ドル建てでですので足元の円安による影響もありますが、長期的な日本経済の総需要低迷が大きく反映していることは言うまでもありません。
日本よりも人口の少ないドイツのほうがGDPが大きいということは、ドイツのほうが日本よりもはるかに生産性が高いことを意味しています。
このように我が国を凋落させているのはデフレです。
そしてデフレを容認させているのが、在りもしない「財政破綻論」です。
要するに、政治や官僚たちの貨幣に関する無知がこの国が凋落している最大要因です。
供給能力が毀損され続けてきたことで、やがては供給能力毀損型インフレが待ち受けることになります。
すなわち、デフレによる需要不足を、毀損された供給能力がさらに下回ってインフレになる現象ですが、実は既にはじまっています。