遡ること2000年10月、イラクのサダム・フセイン大統領は「石油のドルでの販売をやめ、ユーロに切り換える…」と発表しました。
その後、イラクは2003年2月までに260億ユーロの石油を売り上げました。
しかし、その1カ月後、イラクとフセイン大統領に思いもよらぬ悲劇が襲いかかります。
なんと、突如として米国が「イラクは大量破壊兵器を保有している」という難癖をつけ、イラクの非武装化、イラクの民主化、そしてイラク市民の開放、強大な危険から世界を守るなどの大義を掲げて宣戦を布告し、イラクへ軍事侵攻したのです。
圧倒的な軍事力の差では、イラクはひとたまりもありませんでした。
あっという間にイラクは敗北。
フセインは殺され、米国の傀儡政権のもと、イラクは元通りドルで石油を売るようになりました。
因みに、イラク国土のどこを掘り返しても、大量破壊兵器など一つも出てきませんでした。
この戦争により、約150万人のイラク人(民間人)が犠牲になりました。
大東亜戦争で犠牲になられた日本人民間人は約80万人と言われています。
その2倍ものイラク国民を犠牲にしてでも、米国はイラクの石油取引をドル決済に戻したかったわけです。
当時の中東米軍総司令官ジョン・アビサイド氏も後に「(イラク戦争は)もちろん石油が原因だよ。それは否定できない」と。
また、米国連邦準備理事会の議長を務めたアラン・グリーンスパン氏も、彼のメモワールで次のように綴っています。
「イラク戦争は石油が根源だという誰もが周知の事実を、認めることは政界では都合が悪い」
一方、アフリカ最大の石油埋蔵量を誇るリビアでも同様のことが発生します。
2009年、リビアの指導者であるカダフィ大佐はアフリカ諸国に対し、ドルの代わりに金を用いた新しい通貨での石油売買を提案します。
次に何が起こったかは想像するに難くない。
米国が主導するNATO(北大西洋条約機構)は、「自由」の名のもとに連合軍がリビアを攻撃しました。
そして2011年8月20日、カダフィ大佐はやはり殺害され、リビアを含むアフリカ諸国の石油取引のドル決済は維持されました。
同様のことが、南米でも発生します。
世界最大の石油埋蔵量を誇るベネズエラでも、当時、独裁政権を敷いていた米国嫌いのチャベス氏が、やはりドルではなくユーロでの石油売買に興味を示していました。
当然、米国は動きます。
2002年のことです。
どう動いたかというと、今度はチャベス政権に対するクーデターを支持し援助したのです。
クーデターは失敗の終わったものの、政情は一層不安定化し、ベネズエラ経済は崩壊しました。
あれから20年を経た今なお、ベネズエラ国民は貧困に喘いでいます。
米国のクーデター支援の理由は石油以外にもあるのかもしれませんが、世界最大の石油埋蔵量を持ちながら、今なおベネズエラは世界で最も貧しい経済国の一つです。
イラク、リビア、ベネズエラ、これらの国々はすべて問題すら抱えていたものの、独裁政権にもかかわらず、大きな経済的な可能性をもっていました。
しかし「石油はドルで買う」というルールを少しでも脅かしたがゆえに、米国がやってきて自由、開放の名のものとに国が崩壊させられてしまったのです。
まったく酷い話です。
では、なぜ石油はドルで取引されねばならないのでしょうか。
むろん、石油は主要な国際商品です。
それがドルによって取引される。
そして、ドルの世界的需要があるかぎり、米国の通貨発行権にほとんど際限はありません。
世界中に石油を供給する国があり、それがドルによって取引されることは、米国にとって国益そのものなのです。
つまり、通貨の需要とそれを可能にする供給能力こそが、まさに「経済力」であることを米国政府は理解しているわけです。
お気づきになりましたでしょうか。
米ドルは、米債の発行(政府債務の拡大)を通じて供給(発行)されます。
すなわち、米国政府(中央銀行)は、米国国民から徴収した税金を元手にしてドルを発行しているわけではないのでございます。