岸田総理は就任以来、「新しい資本主義」を掲げています。
さらにそこに「小泉内閣以来の新自由主義を見直し…」という言葉が添えられていることから、わたくし的には多少の期待を抱いたものです。
ただ、「小泉内閣以来の…」という言い方は何かの誤解で、我が国においては1980年代から既に新自由主義的な構造改革は進められてきました。
それが90年代に入って加速し、小泉内閣時代にはさらに加速したわけです。
それでも「見直す…」と言っているのですから、それはそれでいいのですが、それにつけても岸田内閣が示す「新しい資本主義」の定義が実に不明確です。
その不明確さが、その後の政策を迷走させているようです。
本来、新自由主義的な構造改革を否定し、新しい資本主義を目指すのなら、当然のことながらその政策目標は「国民の所得を増やす」ものでなければならないはずです。
国民の所得を増やすと言うことは、即ち一人あたりのGDPを増やしつつ、労働分配率を引き上げるということです。
あるいは非正規社員を正規社員に変えていく必要もあるでしょう。
ところが、岸田内閣の経済政策の目標は実に滑稽で、「所得の倍増」でなく、あろうことか「資産所得の倍増」と言い出したわけです。
「今年を資産所得倍増元年とする…」と。
きのうの金融業界の催しでも岸田総理は「貯蓄から投資へのシフトを大胆かつ抜本的に進めていきます…」と挨拶しています。
要するに、家計の貯蓄を投資に回したい…と。
むろん、資産を持っている人の資産が増えることに異論はありませんが、資産を持っていない人はどうなる?
ピケティが膨大な資料をもとに証明したように、1980年代以降のグローバリズム経済(新自由主義経済)により、この世界では、圧倒的多数派の「所得で稼ぐ人たち」よりも、圧倒的少数派の「資産運用で収益を得る人たち」のほうが大きな利益を獲得してきました。
「r>g」
r= 資本収益
g= 所得(GDPのG)
本来的な意味での「国民を豊かにする」とは、「資産所得」を増やすことよりも、まずは「所得」を増やすことでなければなりません。
つまり、経済成長に伴う「r<g」社会を目指すべきです。
どんなに資産所得が増えたとしても、国民経済(GDP)が成長しないのであれば全く意味がなく、国は衰退していくばかりです。
あまり知られていませんが、そもそもGDP統計自体が「その国の力」を数値化するためにつくられた統計です。
むろん、ここで言う「国の力」とは、国民が求める福祉や防災や教育など、生活するに欠かせない各種のインフラ需要を充たすための国内供給能力のことです。
これらの力がないのであれば、仮に資産所得が倍増されたとしても普通に亡国です。