大東亜戦争終戦の直後、国際石油資本に闘いを挑んだ偉大なる日本人経営者がいました。
出光興産の創業者・出光佐三です。
このことは、過日の当該ブログでもご紹介させて頂きました。(8月7日、8月8日のブログを参照のこと)
その出光佐三が、玉音放送の二日後の昭和20年8月17日に、出光興産の全社員にむけ次のように訓示しています。
以下、その要点のみを掲載します。
〇 15日正午、畏れ多くも玉音を拝し、御詔勅を賜り、涙のとどまるを知らず、言い表すべき適当な言葉を持ち合わせませぬ。万事は御詔勅に尽きている。陛下は限りなき御仁慈を垂れたまいて、悪魔の毒手から赤子を救わせたもうたのである。
〇 戦争は消えたのであって、勝負は決していない。原子爆弾は聞けば聞くほど恐ろしい破壊力である。毒ガスなどと比較すべき程度のものではない。広島のような使い方を続けられたら、無辜の日本人は大半、滅するであろう。この兇暴なる悪魔の大虐殺が、日本民族絶滅のために連続使用されるとすれば、仮に戦局が日本に有利に進展しつつある場合たりとも、やはり戦争はやむのである。
〇 焦土となった国を今一度立て直す。日本は必ずや再び立ち直る。世界は再び驚倒するであろう。わが社には最大の資産である人がまだ残っとるじゃないか。愚痴をやめよ。世界無比の三千年の歴史を見直せ。そして今から建設にかかれ。
佐三の訓示で最も印象的なのは、「原子爆弾によって戦争は消えたのであって、勝負は事実の上において決していない。ただ日本が敗戦の形式を強要されたに過ぎないのである」という点です。
また原爆投下については、更に次のようにも述べています。
「ダムダム弾や毒ガス程度のものさえ、戦争には禁ぜられている。国際条約により禁ぜられておる以上のものを、武器として研究することはすでに条約違反であり、正義の放擲であり、人道の無視である。さらにこれを製造し、戦場に使用するは罪悪である。さらにさらに、これを無辜の市民に無警告に用うるにいたっては、人類の仇敵として一日も許すべきでない。米国がその肇国の国是たる正義人道をみずから放擲したのは、みずから敗けたりというべきである」
戦後、政治家の歴史認識問題が注目を集めてきましたが、閣僚経験者のなかには「戦争を終わらせるため、原爆投下は止むを得なかった…」と発言する者までいました。
政治家にとって歴史認識や歴史観というものは、その資格として生命線です。
出光佐三のほうが、よほどに政治家らしい。
そういえば、安倍晋三元総理にもがっかりしたことがあります。
氏は某月刊誌において「ポツダム宣言というのは、米国が原子爆弾を二発も落として日本に大変な惨状を与えたあと、『どうだ』とばかり叩きつけたものです」と述べました。
これなどは、史実(時系列)そのものが間違っています。
原爆が投下されたのは1945年8月6日と9日で、ポツダム宣言が日本政府に突きつけられたのは同年7月26日のことです。
即ち、米国はポツダム宣言を突きつけてのち、日本が降伏する前に原爆を投下したのです。
因みに、菅義偉元総理も酷い。
2015年、菅義偉(当時・官房長官)が沖縄の基地移設問題を巡って翁長雄志知事と会談した際、沖縄の苦難の歴史を語った翁長に対し、菅官房長官は次のように発言しました。
「私は戦後生まれなので、歴史を持ち出されたら困る…」
これを聞いたとき、私は唖然とするほかありませんでした。
現在、国会であれ地方議会であれ、議員の多くが戦後生まれなのですから「議員の大多数は、歴史を無視していい」ということになりますね。
むろん、そんなわけはない。