戦後の自虐史観教育を受けてきた日本国民は、とりわけ日本軍がボロクソに負け続けていた戦争末期のことを教えられてきたので、「日本は竹槍でB29に挑もうとした…」みたいな認識をもつ者も少なくありません。
冗談じゃない。
例えば開戦期の零戦は世界最高水準の戦闘機であり、今で言えばF22みたいなものです。
アメリカの戦闘機(F4ワイルドキャット)はもちろん、イギリスのスピットファイヤーやドイツのメッサーシュミットもまた零戦の足元にも及ばない。
その後、零戦が劣勢に立たされたのは、アメリカのF6ヘルキャットが出てきたあたりからです。
あるいは、空母機動部隊を発明したのも我が帝国海軍です。
それを指揮した南雲司令長官には難はありましたが、航空母艦数隻から数百機の飛行機を飛ばし、太平洋、インド洋のあちらこちら、赤道の南まで行って戦ったのです。
それほどまでに大規模な戦争をできる国というのは、当時としては日本とアメリカしかなく、そのアメリカだって空母機動部隊を日本から真似て運用していたのです。
当時、ソ連は海軍すらなかったし、ドイツは陸軍が強かったものの航空母艦を保有していません。
イギリスは航空母艦を保有していましたが、たんに輸送船として運用していただけで、終戦まで空母機動部隊をつくることはできませんでした。
ほかの国々は、日米に比較すればコンマ以下です。
その意味で「機動部隊を使って戦った人類最後の近代的大戦争こそ、日本vs米国だった」と言っていい。
真珠湾攻撃で空母機動部隊は真珠湾に停泊している戦艦を沈めたわけですが、洋上の艦隊と正面から戦い、大いなる戦果をあげたのはセイロン沖の海戦です。
南方からの資源補給ルートを確保するため、我が国はインド洋からイギリス艦隊を駆逐する必要がありました。
何度でも言いますが、我が国は英米蘭支に資源供給を絶たれたために戦争しているのですから当然です。
そのイギリス東洋艦隊の根拠地がセイロン島でした。
セイロン島に向かう日本艦隊を哨戒機により発見したイギリス東洋艦隊は、セイロン沖に迎撃に向かいます。
その後、空母機動部隊が最初に遭遇したのがイギリスの重巡洋艦「ドーセットシャー」「コーンウォール」でした。
むろん容赦なくこの二隻に空母機動部隊の九九艦爆が襲いかかります。
このとき、急降下爆撃を行った熟練の搭乗員たちの命中率はなんと88%という驚異的な精度で、とりわけ、旗艦である空母「加賀」から発進した九九艦爆の命中率は90%に達していたらしい。
結果、二隻は撃沈。
さらに4日後、空母機動部隊はトリンコマリー港を空襲し、その近辺に潜んでいた軽空母「ハーミス」を撃沈し、ほかにも駆逐艦、コルベット艦、補給艦、数隻の商船を沈めています。
後に英国首相のチャーチルは「日本の空軍(機動部隊)の効率と精度は本当に凄かった」と述懐しています。
開戦から半年間、まちがいなく日本は勝ち続けたのです。
ゆえに、けっして日本は無謀な戦争に踏み切ったわけではないのです。
ただ、講和交渉の時期を逸しました。
逸したのも無理はない。
セイロン沖海戦の2ヶ月後、日本はミッドウェー海戦により、この虎の子の空母機動部隊(空母4隻)を失うこととなり、その後は坂を転げ落ちるように敗戦に向かっていきました。
南雲のせいで…