米国に、ハーマン・ウォークという日本でいえば司馬遼太郎のような人気作家がいます。
戦後、太平洋を舞台にした日米戦争について著した人なのですが、その中でハーマン・ウォークは「ミッドウェーこそが、あの戦争の分水嶺だった…」と述べています。
なぜなら、もしミッドウェーの戦いで日本軍が勝っていたなら、米国本土の防衛が危うくなるからです。
そのため米国陸軍はすべて西海岸のカリフォルニアあたりに集結しなければなりませんので、アフリカでドイツのロンメルなどと戦う余裕などありません。
米国が英国を助けなければ、英国は砂漠の狐と恐れられていたドイツのロンメルの戦車部隊には勝てなかったはずです。
そうなると、ドイツはスエズ運河を奪取、石油を確保することになりますので、英国を落とすのも時間の問題となっていたことでしょう。
ヨーロッパ・アフリカ戦線で、ドイツがそのように活躍する一方、日本がミッドウェーを落とした結果、米国本土が危ういということで、米国はかなり不利条件であっても講話条約に応じたにちがいない。
要するに、ミッドウェーの戦いというものは、それくらい重要な意味があったのだとハーマン・ウォークは言っているわけです。
では、なぜ日本はミッドウェーで負けたのでしょうか?
ハワイ攻撃で日本は、特殊潜航艇という小さな潜水艦をハワイにある敵基地に潜り込ませ、魚雷を撃たせました。
これは実に自殺的な行為で、この小さな1人乗り潜水艦に乗った人たちは、自分たちは助からないことがわかっていながら乗り込んだのです。
当時、彼らを9軍神として崇めています。
海軍は彼らを軍神とするために、二階級特進にしました。
すると、航空隊から文句が出ます。
航空隊はハワイ攻撃でそれこそ世界一といわれるほど空前の戦果をあげ手柄を立てています。
にもかかわらず、航空隊で戦死した者は軍神として崇められないばかりか、二階級特進もしていません。
これにより、海軍内は揉めに揉めたらしい。
そこで、このゴタゴタを調整するため、連合艦隊の参謀長は海軍省との折衝が忙しくなり、ミッドウェー攻撃の計画にまともな時間を費やすことができなかったという。
しかも、暗号を変える暇もなかったというから実にバカげています。
帝国海軍は、そんな中途半端な状態でミッドウェーの戦いに臨むことになったのです。
(明日につづく)