国際メジャーの高価で粗悪なガソリンに苦しんでいた日本でしたが、出光佐三の度肝を抜く勇気ある行動により、多くの国民が良質で安価なガソリン「アポロ」を手に入れることができました。
ところが、再び日章丸が買い付けのためにサンフランシスコに向かっていたところ、取引先から「悪いが、今度の注文は断る…」という電報が入ります。
明らかに国際メジャーの圧力だったのですが、それでも出光佐三は諦めません。
なんと出光佐三は「アメリカが駄目ならイランに行けばいい」と言ったのです。
今こそイランと手を組めば、再び良質で安価な石油を日本に届けることができる、と。
当時もイランは、世界の13%もの石油を保有している巨大産油国でした。
しかも幸いにしてイラン革命の影響により、長年にわたりイランで暴利を貪っていたイギリス系国際メジャーも駆逐されていました。
出光佐三は、これを好機とみたのです。
そして持ち前の度胸と行動力を発揮して、イラン政府との交渉がはじまります。
交渉は順調に進み、取引が実現しようとしていました。
しかしその矢先、またしても国際メジャーの圧力がかかります。
国際メジャーからしてみれば「アジアの有色人種連中に、石油を渡してたまるか…」ということだったのでしょう。
なんと、日章丸の航行を阻止するために、イギリス海軍が海峡封鎖を行ったのです。
しかもイギリス海軍は「いかなるタンカーであっても撃沈する」と警告します。
そこまでするか…
ふつうならここで諦めるところですが、出光佐三は異なります。
日本の一企業でありながら、なんとイギリス海軍を敵に回す覚悟を決めたのです。
この点、手もみをしながら米国大統領に擦り寄っていく、どこぞの総理大臣とは全く違うのです。
あらかじめ、出光佐三の指示を受けていた船長、及び乗組員たちは、イギリス海軍の包囲網も見事に突破していきます。
このとき、佐三や日章丸がどのように情報収集したのかは私にはわかりませんが、本当に凄いことです。
結果、日章丸は約2万2千キロリットルのガソリンを積み込んで無事に日本に到着します。
これが世に言う「日章丸事件」です。
世界中のテレビや新聞が「国際メジャーに一矢報いた、イデミツの大快挙」と大々的に称賛し報道しました。
日章丸事件は、敗戦で打ちひしがれていた日本国民を大いに奮い立たせたことでしょう。
日本人の偉大さはイランの人々の敬服の的にもなり、イランのモサデク首相(当時)も出光佐三の勇猛果敢さを称賛しています。
その後も、イラン政府は日本への支援を惜しみませんでした。
最初の石油取引を無償にし、その後も日本だけには半年間のすべての取引を半額にする、という破格の条件をつけてくれたのです。
いまでもイランには、親日イラン人が多い理由の一つです。(今の日本はヘタレですが…)
かくして、出光佐三の夢であった「国内での安定的な石油供給」は実現されたのです。
「黄金の奴隷になるな」
出光佐三は「出光の目標は金儲けではない」と繰り返し言っていたそうです。
その証拠に、出光佐三は生涯、出光の株式公開を拒みつづけています。
配当やトレードで、金儲けの片棒をかつぐことだけは避けたい、という思いがあったからでしょう。
終戦直後、すべての事業を失い、500億円もの借金を背負い、さらに1000人もの従業員を抱えていたものの、出光佐三は誰ひとり非正規職員にもしていませんし、クビにもしていません。
新自由主義者の権化たる竹中なにがしとは、正反対だ。