敗戦直後の昭和20年、戦火で弱りきっていた日本に、外国の石油会社が束になって襲いかかってきたことをご存知でしょうか。
ここでいう外国の石油会社とは、いわゆる「国際メジャー」(国際石油資本)です。
彼らの狙いは、弱りきった日本から暴利を貪り尽くすこと。
まず、日本企業が所有していた施設を差し押さえ、高価で質の悪いガソリンを強制的に売りつけました。
当然のことながら、敗戦国日本の石油会社には為す術がありませんでした。
結果、日本石油はカルテックス、東亜燃料はエクソン、三菱石油はテキサコ、というように次々に国際メジャーに飲み込まれていきました。
例えば、ある企業では、株式の50%を奪われ、重役の半数以上が白人により占められるなど、「もはや、日本の石油市場はおわった…」と、国際メジャーの横暴に対し、誰もが指を咥えてみていることしかできませんでした。
ところが、そうした状況のなか、国際メジャーに対して堂々と闘いを挑み、「No!」を突きつけた男がいました。
そうです、出光佐三です。
北九州市ではじめた小さな個人商店を、世界トップクラスの石油会社「出光」にまで発展させた伝説の経営者です。
出光佐三は「このままあきらめれば国際メジャーの食い物にされる。そんなのはゴメンだ。だったら国際メジャーと対等に勝負してやろうじゃないか」と考えました。
このように考えられるところが凄い。
我が国の未来を憂慮した出光佐三は、「一刻もはやく、安くて質の良いガソリンを日本人に供給する」という行動に打って出たのです。
といって、「日本にいたまま、ガソリンを自由に販売することは難しい…」と考えた出光佐三は、莫大な資金を先行投資して大型タンカー「日章丸」を建造し、米国に直接買い付けに向かったのです。
昭和26年、日章丸は米国西海岸ゴールデンゲートブリッジを通過し、サンフランシスコ港に到着します。
当時、サンフランシスコの住民たちはビックリしたらしい。
「まさか、あの敗戦国が自分たちでガソリンを調達に来るとは…」
日章丸は、約5千キロリットルのガソリンを積んで日本に戻ります。
そのガソリンを、出光は「アポロ」というブランド名で国内販売しました。
むろん、アポロは安価で良質なガソリンとして大好評。
多くの日本人をして「出光のガソリンさえあれば、箱根の山道も怖くない」「アポロは救世主」と言わしめたほどです。
国際メジャーの高価で粗悪なガソリンに苦しんでいた日本人は、大いに喜んだのです。
ところが、そんな喜びも束の間…
再び日章丸が買い付けのためにサンフランシスコに向かっていたところ、突然…
取引先から「悪いが、今度の注文は断る…」という電報が入ります。
明らかに国際メジャーの圧力でした。
それでも、出光佐三は諦めませんでした。
(明日へつづく)