毎年8月になると、先の大戦にまつわる番組や記事が多くなります。
戦争の悲惨さについてはオールドメディアに任せるとして、当該ブログでは、なぜ日本は戦争に突入し、なぜ負けたのかについて追求していきたい。
昭和26年5月3日、米国上院の軍事外交合同委員会で証言を求められたダグラス・マッカーサーは、日本が戦争に突入した理由を次のように述べました。
「日本は絹産業以外には、固有の天然資源はほとんど何もない。彼らは綿も羊毛も石油も錫もゴムも、そのほか実に多くの原料が欠如している。そして、それらすべて一切がアジアの海域には存在していた。もし、これらの原料の供給が断たれたら、日本国内で1000万人から1200万人の失業者が出ていたでしょう。日本人はこれを恐れていました。したがって、日本が戦争に突き進んでいった動機は大部分が安全保障の必要性に迫られてのことだったのです(Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security)」
なるほど昭和16年8月に入ると、アメリカ(America)、イギリス(Britain)、シナ(China)、オランダ(Dutch)の4か国は、それらの国にある日本資産を凍結し、鋼鉄などの禁輸措置をとりました。
いわゆるABCD包囲陣です。
なかでも日本にとって最も痛手だったのは、石油の禁輸です。
なにしろ、石油や鋼鉄がなければ、20世紀の国家は存続できないのですから。
連合艦隊にしても航空機にしても、日本の軍備は史上最強でしたが、それも石油が無ければ動きません。
いつも言うように、今も昔も軍事力(防衛力)は外交の背景として存在しています。
即ち、外交力(交渉力)=軍事力(防衛力)、なのです。
よって、石油や鉄鋼が枯渇すればするほど、日本の外交交渉力が衰えていくわけで、もっとも米国はそのために禁輸を行い、どうしても日本を弱体化させたかったのです。
満洲からは、鉄鋼、石炭、塩、大豆、小麦を採ることができましたが、石油は採れませんでした。
しかも日独伊三国同盟によってユダヤ人を敵に回していたから、日露戦争のときのように資金を提供してもらったようにはいかない。
とはいえ、世界に誇る日本軍が無為のまま石油を枯渇させ、一戦も交えることなく白旗を揚げるなどということは考えられませんでした。
そこに至って、対米戦争に難色を示していた海軍もいよいよ覚悟を決め、御前会議で正式に戦争準備に入ることが決定するわけです。
ABCD包囲陣が、日本を干すべく石油禁輸措置を行ったのには、英国の首相であったチャーチルの知られざる思惑があったことが、近年の研究で指摘されています。
第二次世界大戦直後、ドイツは破竹の勢いで勝ち進んでいました。
その圧倒的強さに連敗を重ねていたイギリスが逆転するには、どうしてもアメリカを戦争に引きずり込む必要がありました。
しかしながら、米国のルーズベルト大統領は「戦争をしない」ことを公約に掲げ当選した大統領です。
英国が直接的に要請しても、拒否されることは目に見えていました。
そこでチャーチルは、どうしても日米間で戦争が起きるよう仕向けたかった。
そうすることで、日本と同盟関係にあるドイツとアメリカを戦わせることができるからです。
現に、そうなりました。
ゆえにABCD包囲陣を画策し、主導したのはイギリスだったのかもしれません。