イランは今年に入って深刻な干ばつに見舞われているらしい。
総人口約8500万人のうち、なんと約2800万人分の水が不足しているという。
イランのみならず、今や世界の10人に4人が水不足に陥っています。
南米の大都市、メキシコシティでも近年は慢性的な水不足が生じており、経済的にも貧しい地域では不満をもつ住民らが給水車を乗っ取るなどの暴動も起きています。
米国中西部の穀倉地帯を潤してきた水もまた消滅の危機に瀕しています。
地球は「豊かな水をたたえる奇跡の惑星」などと言われるものの、人類が飲むことのできる水はわずか2.5%にすぎません。
しかもその大半は氷河の中に閉じ込められています。
河川や湖沼の淡水に至っては、地球全体の水の僅か0.01%です。
入手可能な淡水の3分の1は地下の帯水層に存在していますが、今やこの帯水層の水も枯渇しています。
地球の水の流動を追跡するNASAの”GRACEミッション”によれば、地下の帯水層の水が予想をはるかに上回るスピードで枯渇していることが判明しています。
なぜ枯渇しているのかと言うと、帯水層に蓄積滞留する水量(供給)に対して汲み上げて使用(需要)する量のほうが上回っているからです。
例えば、帯水層への滞留蓄積を妨げているのは森林資源の破壊です。
よく雨が森林資源を豊かにしていると思わがちですが、実は話は逆で近年の調査によって森林資源が豊かな雨を降らしていることが科学的にも証明されています。
樹木は地中の水分を重力にさからうように各枝各葉にまで吸い上げます。
樹木の葉は、吸い上げられた水分を水蒸気として空気中に放出しています。
その水蒸気が雨粒となって森に降り注ぐわけです。
だからこそ、雨が森をつくるのではなく、森が雨を降らしているのです。
なお、水蒸気を雨粒に変えるためには、その核となる微粒子が必要です。
なんと樹木は水蒸気を雨粒に変えるために必要な有機化合物までをも大気中に放出していることがわかっています。
しかも森の成長に雨が必要なときほど多くの粒子を大気中に放出しているのですから、樹木ってすごいですね。
その樹木を容赦なく伐採し焼き尽くしいれば、帯水層の水が減少するのも当然です。
一方、帯水層の水を枯渇させている水需要の一つは、いわゆる「工業化した農場」です。
帯水層の水は主として畑や農業などの灌漑用水として使用されています。
風車で少量の地下水を汲み上げている時代は帯水層への影響はほとんどありませんでしたが、第二次世界大戦後、高度な掘削技術による灌漑システムが導入されたことで農業が大規模化したことで、例えば米国の内陸部においても荒れ果てた平原が穀倉地帯に変わっていったわけです。
それが今や工業化した農場と呼ばれるほどに、大量の帯水層の水を消費しています。
例えば、世界で飼育されている牛の数は約15億頭ですが、その15億頭が飲む水の量は人類の5倍です。
1個のハンバーガーができるまでに費やされる水の量は約2200リットル、ステーキ1枚には約3700リットル、そして一頭の牛を育てるのに、毎日10分間のシャワーを130年浴びるのに等しい量の水が使われます。
例えば米国中西部のカンザス州セントフランシスでは農業が盛んで、ハイプレーンズと呼ばれる一帯だけでも米国の農作物の約2割を生産しています。
当該地域ではオガララ帯水層の水が灌漑用水として使われています。
そのオガララ帯水層の水も、今や3分の1にまで枯渇していると言います。
もしもオガララ帯水層が完全に枯渇してしまい、それを再び豊富な水源にするためには、なんと6000年の期間を要するとのことです。
このように人間の飲み水ではなく、どちらかというと食料の生産に費やされる水の量が問題なのでございます。
しかもなお、世界の食欲は増す一方です。
食肉の生産量をみても、1961年と比べても5倍にまで増大しています。
2050年には地球人口が90億人にまで達すると予想されていますので、需要と生産量はさらに膨れ上がることでしょう。
たしか世界銀行もまた「2050年に地球は壊滅的な水不足に至る」と警鐘を鳴らしています。
いわゆる「DAY ZERO」(地球から水が無くなる日)です。
今まさに、森林資源の保護、及び資源再生型の農業経営が求められています。
2050年が「DAY ZERO」とならないために。