日教組もまたメイドインGHQ

日教組もまたメイドインGHQ

我が国は、1956(昭和31)年の経済白書で「もはや戦後ではない」と宣言しました。

「なぜ戦後でなくなったのか…」というと、この前年の1955(昭和30)年にGDPが戦前の水準を上回ったからです。

とはいえ、たしかに経済的には戦後ではなくなったのかもしれませんが、政治的には「未だ戦後である」と言わざるを得ません。

それを理解するためにも私たちは、「占領時代の7年間」がいかに過酷なものであったのかを知らなければならない。

約7年間に及ぶ占領時代は、ニュース、ラジオはもちろん、新聞、雑誌、書籍、小説、映画、研究図書、哲学、思想、教育、政治家の演説、漫画、俳句、短歌、詩、流行歌詞に至るまで「検閲」が行われ、違反者には“沖縄での重労働3年”なる刑罰が待っていました。

それだけではありません。

電話の盗聴や私信の開封も公然と行われ、日本政府内には1万人に及ぶ検閲従事者がいて、米国様に検閲の結果報告も行われました。

因みに、英語に堪能な検閲従事者には高給が支払われていました。

即ちこの占領時代、検閲を通らないものが国民の目に触れることはありませんでした。

社会党や共産党などの反日左翼政党、あるいは朝日新聞やNHKなどの護憲派メディアも、検閲を禁止した現行憲法下において「護憲、ゴケン」と叫びながら、検閲を受け、検閲に加担し、検閲の事実を秘匿し続けたのです。

秘匿され続けてきたのは、検閲基準により「検閲の事実を公表すること事態が禁じられていた」からです。

こうした虚偽体質、属国奴隷根性こそが、私が護憲派たちを信用しない理由です。

さらにGHQとその傀儡政府である日本政府は、政界、官界、学界、実業界、言論界などから20万人を超える人々を「戦争協力者」として追放しました。

いわゆる公職追放です。

この追放は教育界にも及び、ポツダム宣言受諾の二ヶ月後、GHQは4大教育司令(①〜④)を傀儡政府に命じています。

①日本教育制度に対する管理政策

②教員及び教育関係官の調査、除外、認可に関する件

③いわゆる「神道指令」

④修身、日本歴史及び地理停止に関する件

ご承知のとおり、講話条約が未締結の時期は法的にも「継戦中」ですが、GHQは日本が二度と立ち上がれぬよう日本人の精神を改変する戦いに着手したわけです。

その本丸が歴史教育でした。

GHQが歴史教育を重視したのは、トインビーじゃないけれど「歴史を失った民族は滅んだも同然」であり、戦前の歴史教育を消し去り、新たな歴史を定着させて日本を別の日本人で充たすことを目論んだからでしょう。

そうすることで、なるほど米国様にはむかった手強き日本人を地上から抹殺したことと同じ効果があります。

戦後、我が国の教育界では「日教組」が幅を利かせたわけですが、日教組もまたメイドインGHQです。

私が川崎市議会で追及しておりますように、川崎市の教育委員会では一部教職員の信じがたい勤務態度が見受けられますが、このこともまたGHQ体制の名残なのかもしれない。