ご承知のとおり、政府は防衛費を増額します。
具体的には、2023年度から5年間の防衛費をおよそ1.6倍の43兆円とする方針です。
これにより我が国の防衛費は対GDP比で2%となり、ようやく国際的な常識水準に並ぶことになります。
ただ、問題は政治家や官僚たちの貨幣観が間違っているため、実に滑稽な財源論が展開されていることです。
現に政府は、防衛財源として所得税(復興特別所得税)や法人税、あるいはたばこ税の活用を検討しており、とりわけ、たばこ税については「紙巻き」か「加熱式」か、という論争が永田町で巻き起こっています。
例えば自民党のたばこ議連は5月末に議員総会を開催し「加熱式たばこの税制改正を実現する…」という決議文をまとめたのですが、現在は加熱式の税負担が紙巻きの約7〜9割に抑えられています。
よって、紙巻き派としては「同じ喫煙である以上、対等の税負担にすべきだ…」ということらしい。
愛煙家たちしてみれば、まさか「たばこ税」が防衛増税の対象になるなどとは思ってもいなかったでしょう。
さて、2027年度以降も防衛力を安定的に維持するには、毎年4兆円の追加財源が必要になります。
この財源について政府は…
①4分の3は歳出改革
②決算剰余金の活用
③税外収入を活用した防衛力強化資金の創設
…といった工夫により捻出できるとし、残りの1兆円については増税によって賄うとしています。
増税の実施時期については「令和6年以降の適切な時期…」と言っています。
実施時期は未定とはいえ、増税されることは確実です。
こうした政府の財源論については、国民の間でも大きな議論が巻き起こっているところですが、とりあえず「歳出改革を行なうべきだ…」という見解は、国民世論に共通している点かと思われます。
とはいえ、歳出改革もまた増税と同じです。
よって、国債発行ゼロで防衛財源を確保しようとすると、かなり重い税負担となります。
因みに政府の有識者会議は、増税を提言し、国債発行を否定しています。
今の日本経済において、もしも国債発行ではなく、大増税によって防衛費を賄った場合には、まちがいなく国民経済は収縮し、国民所得は減り、かえって税収が落ち込みます。
税収が落ち込むとまた「財源が足りない…」となって、増税される。
増税されるとまた、国民経済が収縮し税収が減る。
税収が減ると…
もういいですね。
詰まるところ、正しい貨幣観を持たぬものが「財源」を議論すると、世にもお粗末なことになってしまうのでございます。
とにもかくにも、政治家や官僚だけでなく、経済学者ですらも財源や貨幣について間違った理解をしている人が多すぎます。
彼ら彼女らに共通しているのは、貨幣について次のように理解していることです。
「むかしむかし、人々は物々交換で経済的なやりとりをしていました。例えば、山の村人はイノシシを狩り、海辺の村人は魚を獲っていました。山の村人は海辺の村人にイノシシの肉を渡し、代わりに魚をもらっていました。しかし、モノとモノとを交換するのは面倒です。そこで人々は、金や銀など、それ自体に価値のあるモノを選んで、それを“交換の手段”とすることにしました…。これが、貨幣の起源である。やがて金貨や銀貨といった貴金属の貨幣は紙幣に姿を変えて使われるようになり、最近では電子マネーが使われるようになった」
このような貨幣観を「商品貨幣論」と言います。
要するに「貨幣とは、もともとは金貨や銀貨のように、それ自体に価値があるモノを交換手段としたもの」とする考え方です。
主流派経済学の教科書においても、貨幣をそのように説明しています。
しかしながら、「商品貨幣論」には大きな問題が2つあります。
一つは、「物々交換から貨幣が生まれた」という歴史的な物的証拠資料が何もないことです。
もう一つは、「紙幣や電子マネーがどうして貨幣なのか?」についてうまく説明できないことです。
例えば、主流派経済学者は「単なる紙切れや電子信号は貴金属とは異なり、それ自体に価値はないけれども、人々が紙幣や電子マネーに貨幣としての価値があると信じているから貨幣として流通しているのだ…」という説明をします。
とはいえ、この説明はいかにも苦しい。
「人々が千円札に千円の価値があると思って使っているのは、人々が千円札に千円の価値があると思っているからだ…」というのは単なる循環論法であり、きちんとした説明になっていません。
結論から言えば、貨幣は物々交換や市場における取引から生まれたわけではないのでございます。
では、正しい貨幣論とはどのようなものか。
貨幣は、物々交換から生まれたのではなく、信用と負債の関係の記録として生まれたことが歴史的にも確認されています。
例えば、硬貨が発明されるより数千年も前のエジプト文明やメソポタミア文明に、ある種の信用システムが存在していたことが明らかになっています。
紀元前3500年頃のメソポタミアでは、神殿や宮殿の官僚たちが、臣下や従属民から必需品や労働力を徴収し、彼らに財を再分配していました。
官僚たちが臣下や従属民との間の債権・債務を計算したり、記録したりするための計算単位として、貨幣が使われていたわけです。
このように「貨幣」を特殊な負債の一形式とする貨幣観を「信用貨幣論」と言います。
「信用貨幣論」こそ、政治家や官僚が持つべき「正しい貨幣観」です。
正しい貨幣観を有すると、今に日本政府に求められている財源は「増税」などではなく、「国債発行」にこそあることがよく解ります。
今の国民経済に不足しているのは負債(貨幣)なのですから、負債の一形式である貨幣の発行こそが、なにより政府に求められています。
いつも言うように、貨幣を発行できる政府が、どうして国民の懐からわざわざ貨幣を回収しなければならないのか。