「成長を止めるな…」
この言葉は、毎度おなじみとなっている、大阪維新お得意のデマゴーグです。
つまり彼ら彼女らは「維新改革によって大阪の経済が成長しているから、有権者の皆様、どうかそれを止めないで…」と言いたいわけです。
この連中、本当に「経済成長」の意味がわかって言っているのでしょうか?
甚だ怪しい。
経済成長の意味を理解していないからこそ、維新改革によって大阪の経済が成長していると思い込んでいるらしい。
しかしながら、京都大学の藤井聡先生をはじめ、数多の識者の指摘によってそのような事実は確認されていないことがわかっています。
そもそも「経済とは何か…」を理解しなければ、それが成長しているのかしていないのかもわからないはずです。
おそらく連中は「経済とは何か…」という素養さえ持っていない可能性が大です。
そこで今日は、経済及び経済成長について解説させて頂きます。
まず世の中には、モノやサービスをつくる人(生産者)がおり、一方、それを購入する人(需要者)がいます。
言わでもがな、生産者と需要者の双方が取引することで私たち人間は生活し生存することができ、社会というものを構成しています。
生産者がモノやサービスをつくり、それを需要者がおカネを支出して購入することで生産者は所得を得ることができるわけですが、このとき、生産と支出と所得の金額が必ず一致します。
これをGDP三面等価一致の原則といい、GDP(生産=支出=所得)を産出するのが「経済」です。
そしてGDPを増やすことこそを「経済成長」と言います。
生産と支出と所得が増えている国は、当然のことながら豊かになっています。
厳密に言うと、国民一人あたりのGDPが増えている国は必ず豊かになっています。
ところが、上のグラフのとおり、我が国の名目GDPは1998年以降から横ばいとなっており、まともに成長していません。
因みに名目GDPとは、物価変動の影響が除かれていないGDPのことです。
即ち「名目」とは金額で見た場合のGDPのことで、一方、数量で見たGDPのことを「実質GDP」と言います。
要するに我が国は1998年以降の名目GDPが横ばいとなり、経済成長していないがゆえに「失われた30年」などと言われているわけです。
所得の合計である名目GDPが増えていない中であっても、当然のことながら中には所得を増やしている人たちはいます。
考えてみてほしい。
所得全体のパイが増えていない中で、所得を増やしている人たちがいるのだとすれば、その一方で所得を奪われてしまった人たちが必ずいるということです。
ましてや、維新改革のようなネオリベ改革が断行され、競争が激化されれば、勝ち組と負け組とに世を分断し格差を拡大させるのも当然です。
あたり前のことですが、けっして所得が増えた人たちが悪いわけではありません。
経済を成長させていない、即ち名目GDPを増やしていない政治が悪いのです。
そうした格差を政治的に作り出した連中(ネオリベラリスト)が次に出す言葉が、いわゆる「自己責任」論です。
むろん、例え経済が成長しても能力の違いや運不運により、所得に差がでてしまうのも事実です。
しかしながら、経済全体のパイを増やし、政策誘導によって中間所得層をぶ厚くしていけば格差はそうそう拡がらない。
少なくとも、今の日本に求められているのは、「停滞を止める」ことです。