午前11時現在、熊本県に線状降水帯が発生した模様です。
となれば、非常に激しい雨が同じ場所に降り続くでしょうから、土砂災害や川の氾濫の危険性が急激に高まっているのだと思われます。
ぜひとも住民の皆さんは行政が発する情報に注視して頂き、適格な行動をもって身を守って頂きたいと思います。
さて、近代日本の戦略思想を顧みたとき、そこには「防御の思想」というものがなかったように思えます。
航空機や軍艦の防備をみれば、それが明白といえます。
ゼロ戦はご存知のとおり、コクピット(操縦席)に防御板がなく、搭乗員の命を守ることよりも攻撃の運動性能を優先しました。
戦艦大和は大きさと攻撃力について当時としては世界一でしたが、対空防御についてはほとんど想定していませんでした。
攻撃は最大の防御なりとは、帝国陸海軍ともに強く信奉する考え方でした。
満洲事変から対英米戦争に至る攻略戦の外へ外へのエスカレーションは、まさしくこの攻勢防御思想によるものだったと言っていい。
我が国は地形的に細長い島国ですので、地政学からいえば大きな欠点をもっていました。
そのため国防上、北からの脅威に備えるために朝鮮半島を抑え、その朝鮮半島を守るためには満洲を抑え、満洲を守るためには北支那を抑え、となってとにかく外へ外へと向かっていきました。
南方も同様でした。
「攻撃は最大の防御なり…」の範疇をはるかに超えた、即ち攻勢の限界点をまったく無視した戦略戦術思想でした。
近代日本の栄光も悲惨も、詰まるところは「攻勢防御の思想」の産物だったのです。
なお戦後、大半の海軍士官が口癖のように次のように言っていたらしい。
「米国と戦って、勝てるとは思っていなかった」と。
要するに、みんな戦争に反対だった、と言いたいわけです。
それなのにある日、蓋を開けてみると戦争がはじまっていた。
みんながみんな、これは危険だ、と思っていても、どこかの歯車の加減で動いてしまうのが戦争です。
なるほど、見えないアクションで動いてしまうのが戦争の怖さの一つです。
だからこそ、国民一人ひとりが戦争や軍事というものを勉強しなければならないと思います。
なぜなら、国家は政治と軍事の二本柱で成り立っているからです。
むろん戦争は無いほうがいいに決まっているのですが、「無いほうがいい…」ということを知るためにも、ぜひ全ての日本国民が戦争と軍事のメカニズムと怖さを知っておく必要があります。
「戦争や軍事のことなんか考えたくない…」「私には関係がない…」「過去に失敗したから思い出したくない…」などと言って戦争から目をそらすのは、国民として無責任な態度ではないだろうか。