緩やかな一極秩序時代

緩やかな一極秩序時代

3つ以上の複数の大国が世界に影響を与えている国際政治体制を「多極秩序体制」と呼ぶのであれば、1990年代から今世紀初頭にかけての国際政治は明らかに「一極秩序体制」でした。

それを主導したのは、むろん米国です。

いかなる尺度でみても、この時期の米国の世界的優位は明らかで、17世紀半ばのウエストファリア条約以来、即ち近代国家体制が確立されて以来、軍事、経済、技術のすべての分野でこれほどまでに優位を確立した国はない。

ところが、2003年のイラク戦争、2008年のリーマン・ショックを通じて米国の覇権国としての優位性がゆらぎはじめました。

リアリズムを無視したリベラル外交戦略と、自由市場への幻想を抱いた新自由主義経済の2つが、覇権国としての米国の力(軍事力と経済力)を退潮させたものと拝察します。

ただし、2位以下を寄せ付けないほどの圧倒的な覇権力は失われつつあるものの、現世界は決して二極化しているわけでもなく、多極化しているわけでもありません。

識者の中には「世界は既に米中による二極化が進んでいる…」、あるいは「大国間のパワーバランスが拮抗する多極世界の到来…」を告げる人たちもおられますが、私はそうは思いません。

たしかにこの20年間で、かつてのような圧倒的な米国の支配的優位は廃れていますが、米国が世界のパワーヒエラルキーの頂点に君臨していることに変わりはありません。

例えば、中国の名目GDPは米国の7割に達していますが、かつて中国の李克強(前首相)は、地方政府高官だったころに米国大使に対し「私自身、中国の人工的なGDPの数値は信用していない」と発言していて、彼は電力使用量などの統計を頼りにしていたらしい。

それほど中国当局が発表するGDP統計は当てにならない。

一方、ごまかせない指標もあります。

例えば、ある産業における全世界の利益のうち、特定国の企業が占める割合です。

なるほど、これもまたその国の経済力を示す一つの指標となり得ます。

世界のトップ企業2000社のうち、米国の企業が74%の分野で世界一の利益を上げているのに対し、中国企業がトップの座を占めているのはわずか11%の分野だけです。

ハイテク分野に限定すると、米国企業のシェアは53%であるのに対し、中国は6%です。

因みに、この分野では我が日本国は7%で、かろうじて中国の上をいきます。

あるいは特許使用料など知的財産の使用料をみても、中国の知財使用料収入は米国の10分の1以下です。

軍事面においても、中国が米国の3分の1を超える能力をもっている分野は「巡洋艦・駆逐艦」と「軍事衛星」の2分野だけであり、海、空、宇宙、それぞれの空間を支配する軍事能力については、未だ中国は米国の5分の1以下の能力しか保有していません。

米国がこれほどの優位を未だに維持しているのは、何十年にわたってこれらのシステム開発に膨大な資源を投入してきた蓄積があるからです。

このギャップはそう簡単には縮まりません。

どんなに中国が追い上げても、その分、米国もまた更に資源を投入していくのですから。

いつも言うように、中国がなかなか台湾侵攻に踏み切れない理由の一つは、まだまだ軍事的輸送インフラが足りず、その部隊も脆弱であるがために、幅100マイル以上の台湾海峡を何度も往復しなければならないからです。

要するに、世界第2位のGDPを誇り、毎年莫大な軍事費を費やしているものの、まだまだ適切な規模の上陸侵攻部隊と、それを支援するために必要な後続の船舶輸送部隊の安全を確保できないのでございます。

少なくとも、米軍がアジアから撤退しないかぎり、中国(人民解放軍)の支配権が第一列島線(日本から台湾、フィリピンを含む一連の太平洋諸島に至るライン)よりも東側に及ぶことはないでしょう。

そのような状況下で、中国が米国と世界を二分することなどできるわけもない。

とはいえ、たしかに米国もまた、かつてのような「完全なる一極秩序」を維持しようとはしていません。

いわば「緩やかな一極秩序」でしょうか。

だからこそ、米国はクアッド(QUAD)やオーカス(AUKUS)など、新たな地域的連携による枠組みを構築強化することにより、ひきつづき国際秩序の安定を図ろうとしています。

世界平和のため、「これからは、各国が相応の負担をしてくださいね…」とお願いしているわけです。

むろん、我が日本国もまた、主権国家として軍事・経済の両面で相応の負担をしなくてはならない。