誤った貨幣観の令和臨調

誤った貨幣観の令和臨調

おカネ(貨幣)とは、負債の特殊な一形式です。

これが「信用貨幣論」と呼ばれるもので、行政に携わるものが絶対に持つべき正しい貨幣観です。

現代貨幣(信用貨幣論)においては、おカネ(貨幣)に金銀など貴金属の内在的価値は不要です。

現に私たちのお財布に入っている1万円札の内在的価値は、たった22円の紙切れに過ぎません。

ではどうして、22円の紙切れが1万円の価値を持つのか…

正しい貨幣観を持たぬ者には説明できない。

さて、貨幣を発行(創造)するのは基本的には政府ですが、信用貨幣論を理解すると民間銀行もまた貨幣を発行(創造)していることがわかります。

実は民間銀行は、貸し出しを行うことによって、預金(負債)という貨幣(預金通貨)を生み出しています。

これを「信用創造」と言う。

通説では「民間銀行は、企業や家計から預金を集め、それを又貸ししている…」とされていますが、これは明らかな誤解です。

実際には、民間銀行は企業等に貸し出しを行うことで、預金という貨幣(預金通貨)を生み出しています。

例えば、〇〇銀行は、100万円を借りたいという企業Aに対して貸し出しを行う際、単に企業Aの口座に100万円と記帳するだけです。

その瞬間に、100万円という預金(貨幣)が「無」から生み出されているのでございます。

そして、企業Aが収益を得て、借りた100万円を〇〇銀行に返済すると、100万円という貨幣は消滅します。

このように貨幣(おカネ)とは、民間銀行の貸し出しによって創造され、民間銀行への返済によって消滅するのです。

貨幣(おカネ)は銀行の貸し出しによって創造されるわけですから、貨幣が創造されるためには、貸し出し先となる企業の資金需要が必要となります。

要するに、資金需要があるからこそ、企業はおカネ(預金通貨)を借りるのです。

むろん、貸し出し先の企業に返済能力がなければ、銀行は貸し出しを行いません。

行わない、というより行えない。

だからこそ銀行は厳格な与信審査を行います。

その上で、企業に返済能力がある限り、銀行は企業の需要に応じていつでも貸し出しを行う(貨幣を供給する)ことができるのです。

即ち、預金通貨創造の出発点には、必ず企業による「需要」があり、民間銀行が貸し出しを行う。

そのことで預金通貨という貨幣が創造され、その貨幣が民間経済の中で使われて世に循環する。

そして最終的には、企業が収入を得て貨幣を獲得し、銀行に債務の返済を行うことで預金通貨は消滅することになります。

これが資本主義の基本原理とも言うべき貨幣循環であり、貨幣(預金通貨)を創造するのは、究極的には企業の「需要」であり、それこそが企業の財源であることがわかります。

企業の財源が需要であるのなら、では、政府が必要とする「財源」は何か?

正しい貨幣観を持たぬものは「税収」と言うでしょう。

しかしながら貨幣循環の過程は、貸し出し先が政府である場合も、企業の場合と基本的に同じです。

例えば政府には「少子化対策」や「防衛力強化」という需要があります。

そして、その需要に対して中央銀行(日本銀行)が政府に貸し出しを行う。(日本銀行による国債の直接引き受けは原則禁止されているが、市中消化の場合でも基本的な原理は同じ)

ここで、貨幣が「創造」されます。

政府は、創造された貨幣を支出することで民間部門に貨幣を供給します。

そして政府は、徴税によって民間企業から貨幣を徴収し、それを中央銀行に返済することで貨幣は消滅するのでございます。

ただし、企業と政府とでは、決定的な違いがあります。

政府の場合、インフレ率が許す限りにおいて徴税の必要がない。

つまり貨幣を消滅させる(借金を返済する)必要がないのです。

「そんなことを続けていたら政府の国債発行残高は膨らみ続けていくのでは…」と思われるでしょうが、政府の国債発行残高は、むしろ膨らみ続けていくべきものです。

上記の説明のとおり、政府の国債発行残高とは、政府の通貨発行残高に過ぎませんから。

前置きが長くなりましたが、きのう(4月25日)、公益財団法人日本生産性本部を事務局とする令和臨調(民間有識者による令和国民会議)が社会保障制度改革に関するお粗末な提言を発表しました。

案の定、持続可能な少子化対策の財源について「税」を軸に安定的に確保するよう求めています。

正しい貨幣観を持たぬ者は「有識者」とは言えない。