「自治体の経営改革」を唱え続けている上山信一という男がいる。
氏の言う「自治体の経営改革」とは、例えば隣接自治体との合併、区役所の組織再編、公立の病院や大学・博物館の独立法人化、地下鉄の民営化等々これらをすすめつつ、補助金制度や施設運営などを廃止することらしい。
自治体運営を「経営」の対象としていることに驚くばかりだが、要するに氏が求めるところは、いわゆる平成の時代に叫ばれ続けた新自由主義(ネオリベラリズム)に基づく「抜本的改革」というやつですね。
こうした改革を断行した挙げ句、いざというとき国民を守るべき「行政システム」が、パンデミックや台風などの自然災害に対して極めて脆弱なものになってしまったのは周知のとおりです。
そもそも「抜本的改革」や「最高のまち…」などの理想を掲げた政治はうまくいかない。
そのことは、約230年前のフランス革命の失敗によって既に明らかにされています。
自由、平等、博愛という理想を掲げ、民衆が起こしたフランス革命でしたが、その結果はご承知のとおり惨憺たるものでした。
革命前のフランスは、市民の9割を占める平民には非常に重い税が課せられ、さらに大不況の影響もあって、多くの市民たちが実に苦しい生活を強いられていた一方、特権階級である貴族たちは豪遊し、しかも課税が免除されていました。
そこで、身分が低い市民たちが「自由・平等・平和」を掲げて奮闘し、王政を倒すために革命を起こしたわけです。
革命がはじまって1年ぐらいはうまくいっていました。
政府の武器庫であり難攻不落と言われていたバスティーユ牢獄を陥落させ、民衆の自由・平等を明記したフランス人権宣言を採択し、世界ではじめて普通選挙法も採用されました。
革命を起こした人たちの誰もが「これで絶対王政による弾圧は終わり、国民のための政治が行われる…」と信じて疑わなかった。
ところが、その後は皮肉にも自由と平等とは程遠い独裁恐怖政治が行われ、それに反対する民衆を革命政府は片っ端から死刑にしていきます。
再び暴動が各地で多発したことで街中は火の海と化し、飢えた子どもたちが街中に溢れかえり、少しでも政治に口出しをするものは容赦なく死刑に処されたものだから、隣人同士の密告が相次ぎ皆が疑心暗鬼になっていきました。
そこにはかつて文化に栄えて発展したフランスの面影は一ミリも残されていない。
結果、革命を指導してきたマクシミリアン・ロベスピエールは、数万人もの民衆を殺し恐怖政治を断行した暴君として死刑に処されるに至りました。
1974年7月28日の夕暮れ時、フランスの聖ピエール刑務所にて、ロベスピエールは赤く染まったギロチン台へと続く13段の階段を一歩ずつ登った。
「そんなはずじゃなかった。私はただ国民を幸せにしたかっただけなのに…」
なぜ、フランス革命は失敗に終わったのか?
むろん、それを明らかにしたのは18世紀のイギリスの政治家エドマンド・バークです。
というより、バークはフランス革命が失敗することを見事に予言しています。
革命への応援依頼をしてきたデュポンへの手紙でバークは次のように書いています。
「やがて、各地で反乱が起き、国がメチャクチャになる。そして軍事政権の台頭によって革命は大失敗という形で幕を閉じるだろう」
なんとバークは、ナポレオンの出現まで予言していたからすごい。
バークはその著書『フランス革命の省察』のなかで、革命や抜本的改革、あるいは理性や合理でつくりあげた「理想郷」(ユートピアリズム)の追求が決してうまくいかない理由を明らかにしています。
以来、エドマンド・バークは「保守思想の父」と言われるようになったわけです。
さて、川崎市政は、民選市長制度に移行して以来、伊藤、髙橋の「革新市政」で約30年、阿部、福田の「ネオリベ市政」で約20年の合計50年を経て現在に至っています。
横浜市と同じ政令指定都市である川崎市は、首都圏の一角を占め、東京と横浜の間という絶好の地理的条件を有しているにもかかわらず、その発展は横浜市に先を越されていると言わざるを得ません。
その原因こそ、30年の革新市政と20年のネオリベ市政にあると私は考えます。
ゆえに今こそ川崎市政には、保守の逆襲が必要です。