今日(2月14日)、政府は日銀の人事案を国会に提示します。
黒田東彦総裁の後任には経済学者で元日銀審議委員の植田和男氏を充て、副総裁には氷見野良三(前金融庁長官)、内田真一(日銀理事)を起用するとのことです。
衆参両院の同意を得られれば、内閣が任命することになります。
そのことを伝えるテレビ・ニュースは、改めて日銀の政策や政府の財政状況について解説していますが、相変わらず「国債発行残高」を「国の借金」だと言ったり、あるいは「税収で返済する必要のある普通国債の発行残高」だのと言ったりして公共の電波を使ってデマを垂れ流しています。
あえて「国の借金(クニノシャッキン)」という言い方をすることで、いかにも国民が借金を背負わされているかのような印象を与えたいのでしょう。
しかしながら、国債残高は国民が返済しなければならない借金ではありません。
そもそも日本政府は国民の預貯金からおカネを借りているわけではなく、民間の金融機関が日銀内に持っている当座預金(日銀当座預金)を原資にして国債を発行しています。
そして政府は財政支出をすることで、民間金融機関の日銀当座預金におカネを戻しています。
なお、政府が財政支出することにより、民間部門(企業や家計)の所得と世の中の貨幣流通量を増やしています。
つまり、政府の国債発行残高とは、貨幣発行残高に過ぎないのです。
だからこそ、2021年度末の政府債務残高は1872年末比で4424万倍、実質ベースでも1885年末比で626倍にまで増えているわけです。
むろん、だからといって財政運営に何か問題があるわけではありません。
ただそれだけのことです。
明治以降、日本の経済規模(生産能力)が拡大しているのですから、それに応じて貨幣発行量が増えていくのは当然です。
もしも政府が貨幣を発行しなかった場合、即ち政府が国債を発行し支出しなかった場合、常にデフレの状況に陥っていたことでしょう。
貨幣量や国民の所得が不十分な場合、単に経済成長しないだけです。
1997年以降、日本は「財政が破綻するぅ〜」というお題目のもとに政府が一貫して緊縮財政(国債発行と歳出の縮減)を行いました。
結果、民間部門に十分な貨幣と所得が供給されなかったために、主要国のなかで名目GDP成長率が最低になってしまったのです。
去る2月10日、財務省が2022年末の国債残高が1005兆7772億円になったと発表しましたが、それを財務省の御用新聞ともいうべき日本経済新聞が「普通国債が初の1000兆円台 22年末、金利上昇にリスク」という見出しをつけて記事にしています。
その記事のなかで日本経済新聞は「税収で返済する必要のある普通国債の発行残高が2022年12月末に1005兆7772億円になったと発表した」と書いていますが、あきらかな嘘です。
何度でも言いますが、国債は税収で返済などしていません。
返済などしていないから、政府債務残高は1872年末比で4424万倍、実質ベースでも1885年末比で626倍にまで増えているのです。
そもそも国債発行(通貨発行)するのに、どうしてわざわざ税金を集めて返済する必要があるのか。
国債発行は通貨供給であり、徴税は通貨消滅であることから、まったく逆のオペレーションなのでございます。
因みに、通貨供給と言っても、いちいち紙幣を刷っているわけではありません。
キーボードで数字を入力しているだけです。
いわゆる、キーストローク・マネーです。
おカネ(貨幣)は、地面を掘って出てくる金銀等の貴金属とは異なります。