憲法とは主権の発動にほかならない。
しかしながら、わが国の現行憲法はどうみても主権を発動しているとは言い難い。
現行憲法が制定されたとき、わが国は外国の占領下にあり主権を有していなかったのですから…
安倍内閣時代の平成28年3月29日に『国際平和支援法』及び『平和安全法制整備法』が施行された際、「この法律は立憲主義に違反しているから無効だ」と主張する人たちがおられましたが、当該法案は曲がりなりにも国会で相当な回数を重ねて審議され成立し、その後においても、安保法制の是非が問われた総選挙でも与党側が勝利しています。
それでもなお安保法制が立憲主義に反すると言うのであれば、現在の日本国憲法はどうなるのか。
現行憲法の成立過程において、その是非を問う総選挙も国民投票も行われていません。
詰まるところ、護憲派も改憲派も安保法制のときにだけ「立憲主義…」を問題にするご都合主義なのでございます。
とりわけ現行憲法の改正派は、安保法制を立憲主義違反であるとする護憲派の批判に対してまともな反論ができませんし、護憲派は護憲派で、ただただ「立憲主義違反」を強調するだけです。
改憲派にしても護憲派にしても、いずれも現行憲法を憲法として認める立場ですが、安保法制が立憲主義に反するのであれば、現行憲法の制定が立憲主義に反するか否かの議論を避けるのはおかしい。
巷には、「現行憲法の制定過程では日本人も事務的に携わっていたのだから、日本人によって創られた憲法に変わりはない…」と主張する人たちもいます。
まことに驚きですが、それって「大阪城を建てたのは豊臣秀吉ではなく大工さんだ…」と言っているに等しいでしょ。
そもそも「立憲主義」という概念や定義は定まっておらず、人によって解釈は異なります。
立憲主義をどのような概念で定義づけるにしても、現行憲法の出自が立憲主義に反するのか否かという議論を避けてはならない。
そのことが、わが国の戦後を再検討し、この国の方向を見定める出発点になるものと確信します。
1月23日に召集された通常国会では改憲論議の行方も焦点となります。
さて、どうなるか。