私の崇敬神社は靖國神社です。
毎年、春秋の例大祭はもちろんのこと、お正月には必ず参拝をさせて頂いております。
今年は昨日4日にお伺いさせて頂きました。
いつもながら、鳥居をくぐるだけで聖域に入ったという玄妙さに包まれます。
到着殿でお出迎えを頂き、「川崎市議会議員 三宅隆介」と記帳を済ませ、拝殿にてお祓いを賜り、渡り廊下を進んでいよいよ本殿にて参拝をさせて頂くわけですが、本殿はなお一層のこと、その空間に佇むだけで厳かにして荘厳で、身の引き締まる何とも言えぬ緊張の極に至ります。
それを言葉にするのも誠に畏れ多いことです。
さて、靖國神社の起源は、幕末の文久2(1862)年にまでさかのぼります。
その年の2月、津和野藩士の福羽美静ら60余名の有志が、京都の東山に会同して安政5(1851)年以来の国事に殉じて斃れた志士たちの慰霊祭を挙行したのがはじまりです。
その後、幕末の動乱に犠牲者を出すことの多かった長州藩や薩摩藩の民間有志にこの挙をみならう者が相継いだのですが、それらの慰霊祭の斎場として各地に「招魂社」が建てられました。
それらが昭和14(1939)年以降に改称され、現在各地にある「護国神社」の起源となったケースが多いわけですが、その一つが「東京招魂社」です。
「東京招魂社」の創建に尽力したのは長州藩の大村益次郎で、大村は木戸孝允らとはかって明治維新の戦火で斃れた同士の霊を慰める霊場として明治2(1869)年に東京の九段下にこれを建立しました。
その後、明治12(1879)年に別格官幣社として正式に神社となり、やがて「靖國神社」という名称になったわけです。
靖國神社の参道中央に大村益次郎の銅像があるのは、そうした経緯からです。
なお、靖國神社に祀られている御祭神は実に多種多様で、幕末志士のみならず、戊辰の役、佐賀の乱、西南の役、日清戦争、日露戦争、第一次大戦、そして大東亜戦争にて殉じた軍人・軍属、あるいは皇族、文官、民間人など約250万柱が合祀されています。
言うまでもなく日本の神社でいうところの「神」とはGodではなくDeityですが、ここでいうDeityは「死者」とイコールです。
なお、死者とはいえ必ずしも人間だけではありません。
例えば靖國神社には軍犬や軍馬の銅像があり、動物もまたDeityとしてお祀りされているのでございます。
ゆえに、靖國神社はまさに「死者の都」と言ってよく、死者とともに生きるという感覚こそが日本人が日本人たる所以だと痛感するところです。
昭和、平成、令和と時代は移り、あの敗戦から78年という歳月を経てもなお、わが国の最高指導者たる内閣総理大臣が靖國神社を参拝することができないでいます。
わが国は今なお「戦後」なのです。