それにつけても、ロシアによるウクライナ侵攻は我が国にも様々な影響を与えています。
例えば、ロシアがウクライナに侵攻した2月24日以降、北朝鮮によるミサイル発射実験が頻発しています。
残念ながらウクライナ紛争が、金正恩総書記に「核を保有することの重要性」を改めて認識させたのだと推察します。
1994年、ウクライナはソビエトから独立する際に核の保有を放棄していますが、もしもあの時、ウクライナがソビエトの核を放棄していなかったら、果たしてプーチンはウクライナ侵攻を決断していたかどうか…
そうでなくとも金正恩総書記は、大量破壊兵器プログラムを放棄した独裁者の末路を知っています。
イラクのフセイン大統領にしても、リビアのカダフィ大佐にしても、それを持たながったがゆえに政権を追われ殺害されたことを彼は他の誰よりも強く記憶しているはずです。
「大量破壊兵器だけが、独裁体制の存続を保証してくれるのだ…」と。
この1年にわたって北朝鮮は、潜水艦発射弾道ミサイル、列車搭載型弾道ミサイル、新型の地対空ミサイル、長距離戦略巡航ミサイル、あまつさえ複数の超極音速ミサイルを発射し、さらには7回目となる核実験の準備をし、より小型の次世代戦術核の保有をも考えているらしい。
少なくとも既に、米本土までを核で威嚇できるほどの力を持つようになっています。
10月4日に日本の上空を通過し太平洋に落下したミサイルは、北朝鮮としては過去最高の4,600キロを飛行していますので。
とりわけ、戦術核は厄介です。
戦術核とは、いわば「使える核」です。
ことしの4月、北朝鮮は、韓国内の様々な標的(米韓の指揮統制施設、ミサイル防衛施設、港湾施設、飛行場など)を攻撃する能力を持っていることを示すため、5つの異なる発射サイトから、核弾頭を搭載可能な、射程の異なる8つのミサイルの発射実験を試み、9月、10月にも、韓国に複数の戦術核を打ち込むシミュレーションとして同様のテストを行っています。
しかも金正恩総書記は、9月9日の最高人民会議(北朝鮮の国会)で「核の先制使用も可能」という新たなドクトリンを公表しています。
それは、北朝鮮への核攻撃が差し迫っている場合だけでなく、彼を含む指導部、あるいは核戦略プログラム施設などが通常兵器による攻撃を受けた場合、もしくは国の重要資産が軍事攻撃を受けた場合、通常戦争の拡大を防ぐには核使用しかないと彼が判断した場合にも「先制使用はOK…」というものです。
さらには「非核化に関する協議には二度と応じない…」ことをも明言しています。
今後、北朝鮮が、ウクライナ侵攻で苦境に立つプーチン大統領のように「戦術核の使用」をちらつかせることで外交を有利に展開しようとする試みに出るのはもはや時間の問題でしょう。
そうしたなか、度重なるミサイル発射に慣れきってしまい、核の脅威に対し鈍感になってしまっているどこかの国とは異なり、韓国では自国の抑止力をどのように強化するかという議論が高まっています。
最近の韓国での世論調査では「韓国も核武装すべき…」が55%にまで達しているらしい。
核武装は最も過激なオプションですが、実現するのはなかなかに難しい。
それを選択すれば、まず米国との同盟関係に亀裂が入ります。
また、合法的に核兵器を開発するとなればNPT(核不拡散条約)から脱退しなければならず、国際的な孤立と制裁を覚悟しなければなりません。
それに、韓国が核開発を軌道に乗せる前に、北朝鮮による先制攻撃のリスクを高めることは必至です。
むろん我が国にも「核武装論」がありますが、あくまでもそれは議論にとどめておくべきであって、そのメリットとデメリットを考慮すれば、核を保有した場合のデメリットのほうがはるかに大きい。
なにより、核が拡散すること自体が、世界にとって、そして我が国にとっての最大の脅威です。
誤解を恐れずに言えば、戦後77年間にわたり、大国間戦争、あるいは国家間決戦を封じてきたのは「限られた大国による核保有」というストッパーがあったからです。
この77年のあいだ、たしかに世界のあちこちで紛争はありました。
しかしながら、それらはクラウゼヴィッツのいう「絶対的戦争」(国家間決戦)ではなく、限られた大国によりコントロールされた局地戦、代理戦、制限戦にとどめられ、けっして世界大戦に至ることも核兵器が使用されることもありませんでした。
おそらくプーチン大統領でさえ、今回のウクライナ紛争で戦術核を使うことはできないでしょう。
「核の廃絶…」を訴え続けておられる理想的平和主義者たちには申し訳ありませんが、現世界において「より平和な世界」を構築するために最も求められているのは「核の不拡散」であると私は確信します。
それが、現実的平和主義者がもつリアリズムです。