我が国で初めて普通銀行(都市銀行と地方銀行)が設立されたのは、銀行法が公布された1927年のことです。
以来、国民経済に対し内生的に預金通貨を発行してきたわけです。
因みに、民間銀行による貸し出しも立派な通貨発行です。
むろん現金通貨の唯一の発券機関は中央銀行である日本銀行(以下、日銀)です。
日銀の営業が開始されたのは『日本銀行条例』が発布された1882年のことで、同時にそれまであった国立銀行は免許期限満了とされ普通銀行へと転換していきました。
歴史的には中央銀行の起源は諸説ありますが、近代国家の中央銀行という意味においては、やはり英国のイングランド銀行をおいてほかはない。
イングランド銀行が誕生したのは1694年のことで、そのころは未だ中央銀行ではなかったものの、銀行券(現金)の発行や手形割引を主たる業務としていました。(当時は民間銀行も現金を発行していた)
教科書的な解説では、イングランド銀行は初の株式会社組織の銀行であり、その後、19世紀の中頃になって中央銀行としての地位を確立し近代的銀行史の出発点となったということになっています。
しかしながら、やはりイングランド銀行は近代的銀行史のはじまりというより近代的中央銀行史のはじまりと言うべきです。
そして、もしもイングランド銀行(中央銀行)による不換紙幣の発行がなければ、イギリスがフランスとの100年戦争の勝敗の行方はどうなっていたかわかりません。
不換紙幣とは金銀ほか貴金属などの内在的価値の裏付けのない紙幣のことですが、イングランド中央銀行による不換紙幣の発行は、まさに「財政革命」だったのです。
金銀という量的制約に縛られた物材を貨幣で戦費を賄っていたフランスに対し、イギリスはインフレ率が許すかぎりにおいて量的制約のない不換紙幣を戦費とすることができたのですから財源を理由に敗戦に及ぶことはなかったわけです。
では、近代的銀行史のはじまり、即ちその起源はどこにあるのでしょうか。
それは、イギリスのゴールドスミス(金細工匠たち)です。
彼らは金細工匠ですから、当然のことながら「金」を保管するための大きな金庫を持っていたわけですが、次第に一般人が保有する「金」の預かり業務を行うようになっていきました。
なにせ自宅に「金」を保有することほど危険なことはありません。
強盗の標的になる危険性もあれば、信頼していた使用人に持っていかれてしまったという事例も実際には多くあったようです。
商品を買う人はゴールドスミスから「金」を下ろしてきて決済する。
そして商品を売った人は手にした「金」を再びゴールドスミスに預ける。
当初は、そのような面倒なやりとりが為されていたのですが、やがて面倒となりお互いにゴールドスミスが発行する「預り証」で売買をするようになっていきました。
要するに「預り証」だけで売買が成立していくようになったのです。
すると、機転の利いたゴールドスミスが現れます。
預かっている「金」の量以上に「預り証」を発行するようになったのです。
ゴールドスミスに「金」を預けている人たちが、いっぺんに「金」を引き出しに来ないかぎり、ゴールドスミスによる「預り証」の発行に上限はありません。
もうお解りですね。
ここでいう「預り証」こそが「預金通貨=現金通貨」であり、ゴールドスミスこそが「銀行」です。
即ち、近代的銀行史のはじまりは、ゴールドスミスと言うべきです。
なお、金銀ほか貴金属などを内在的裏付けとしていない「預り証」こそが、現代貨幣(modern monetary)です。
要するにおカネ(貨幣)とは、債権(貸し手)と債務(借り手)の関係を確認するための媒体にすぎないのでございます。
紀元前17世紀、バビロニアのハムラビ法典には、貨幣の保管を受託された者についての変換義務、あるいは保管料を徴収しないなどの規定を謳った箇所がみられます。
実はこの時から既に、おカネ(貨幣)は債権・債務の記録であり、債務者にその義務を履行させるための規定、あるいは履行しなかった場合の罰則があったことが確認されています。
貨幣の歴史、そして銀行の歴史は、おカネが負債の一形式であることを痛烈に物語っています。