捨てられる再エネ

捨てられる再エネ

比較的涼しく感じた昨日とは一転して、今週の週初めは再び残暑が厳しくなるらしい。

ことしは6月下旬から既に各地で観測史上初の40度を超える異例の猛暑が続きましたが、各地で電力需給が逼迫し綱渡りが続いてきた一方で、太陽光など再生可能エネルギーが使い切れずに捨てられているという実態が明らかになっています。

その主たる理由は、東日本と西日本とを結ぶ送電網が細く、電力が余る地域から足りない地域への融通ができないためです。

むろん停電リスクを軽視し、送電網の整備をおろそかにしたことのツケもあるかもしれませんが、そもそも論として、我が国において発電と送電が電力会社に一元化されてきた最大の根拠がそこにあったのです。

あらためて申し上げますが、我が国の電力会社が発電設備と送電設備を一体で形成・運用してきたのは、日本特有の国土事情と深く関係しています。

我が国の国土の最大の特徴は「南北に細長い島国」であり、しかも「山がち」で「平野も少ない」いうことです。

このため、電力系統(発電、変電、送電、配電)は一本の櫛のように構成されねばなりませんでした。

例えば、送電線の整備だけをとっても、我が国では国土条件として送電線の立地場所が少なく、用地所得にも長期の時間とコストがかかるため、送電インフラの充実は容易ではありません。

加えて我が国においては電力会社が発足して以来、東西で周波数が異なるという問題もあります。

これにより日本の送電システムは「大電流を流すと不安定化しやすい…」という脆弱性を常にかかえています。

この脆弱性を制度的に克服する措置として、発電と送電を一体で整備・運用する責任が電力会社に一元化されてきたわけです。

即ち、一本の櫛のように電力系統を構成せざるを得ないがゆえに、それまで発送電は一本化されてきたのです。

極めて合理的な制度だったと思います。

因みに、欧米諸国は地形が長方形で平野が広いことから、各電力会社が網の目状に電力系統をつないで緊密に連携しています。

しかも日本とは異なり国内における周波数は同一です。

ゆえに欧米で行われている発送電の分離は、充実した送電インフラを前提とした政策なのであって、特殊な地形がもたらす送電インフラの脆弱性に制約された我が日本国にそのまま当てはめることは不可能なのでございます。

にもかかわらず、安倍内閣時代に構造改革(新自由主義改革)の名をもって発送電は分離されてしまったのです。

エネルギー安全保障の強化という方向性とは真逆の改革だったわけです。

本来、電力会社というのは電力の性質上、発電と送電の双方に責任をもたねばならないものです。

なぜなら電力会社は、電力の需要と供給が瞬間瞬間で常に一致するように綱渡り的に調整し運用しなければならないからです。

発電と送電とが別法人化されてしまうと、送電会社が電力需給を一致させる責任を負うことになるわけですが、電源をもたないまま需給の一致を達成することは至難の業です。

それに、発電会社が電力の価格をどれほどつり上げても、需給一致の責任を持つ送電会社、あるいは電気の消費者は、発電会社の言い値で電力を購入しなければなりません。

現に、そうなりました。

しかしそんなことは発送電分離や小売電力を自由化する以前からわかりきっていたことです。

例えば、既に発送電分離体制をとっていた米国カリフォルニア州では電力危機が勃発しており、送電会社が法外な価格の電力を購入しているという具体的な事例があったのですから。

繰り返しますが、発送電分離体制は電力危機に対し極めて脆弱なのでございます。

ことしの夏はなんとか乗り越えられそうですが、次は冬の心配をしなくてはなりません。

私たち日本国民は今後とも、毎年2回、常にブラックアウトに怯えねばならない。