平時しか想定していない改革の恐ろしさ

平時しか想定していない改革の恐ろしさ

依然として終息の出口がみえない新型コロナ。

都道府県によって死者数などに差がでていますが、とりわけ大阪では悲惨な状況になっています。

例えば、2022年3月24日現在、全国の100万人あたりのコロナ死亡者数は218人(12,625人÷12.545万人)ですが、大阪府の100万人あたりの死亡者数は515人(4,553人÷884万人)で、全国平均の2.4倍となっています。

一方、大阪市の100万人あたりの死亡者数をみると660人(1,816人÷275万人)で、全国平均の3倍にも及んでいます。

その原因は様々にあるのでしょうが、いわゆる「抜本的改革」の弊害が大きいのではないでしょうか。

平成時代の改革競争で、全国的に各自治体が職員を削減してきたのは周知のとおりです。

川崎市も平成13年以降、約3,000人を削減しています。

ただ、大阪における削減はその比ではなかってようで、2008年以降、18.1万人にいた職員数は15.2万人にまで削減され、これは全国平均の2.2倍の削減規模になります。

なにより医療や公衆衛生関係の公務員数が減った影響は大きかったようです。

新型コロナのようなパンデミックが発生した場合、公立病院の存在は極めて大きい。

川崎市がなんとかコロナ対応できているのも、本市の公立病院がしっかりと機能しているからです。

これがもし市内に民間病院だけしかなかったなら大変な事態になっていたことでしょう。

実は、保健所の数については神奈川県のほうが大阪府よりも少なく、神奈川県は全国でワースト1なのですが、保健師の数は少ないものの、それを行政職員でカバーしているために神奈川県は大阪府ほどには逼迫していません。

むろん「だからいい…」という話ではありません。

不確実性を前提にした有事に対応するためには、平素から冗長性を確保しておくことが重要です。

平時しか想定していない改革は恐ろしい。

なにより「抜本的な改革」は必ず失敗するものです。