むかし、シュミットという西ドイツの首相が来日したことがあります。
我が国の内閣総理大臣は福田赳夫。
当然、両首脳による会談が行われたわけですが、そのなかでシュミットは開口一番に「ソ連のSS-20が寝ても起きても頭から離れない」と切り出しました。
すると福田総理は「SS-20って何ですか?」と応じ、シュミット首相を唖然とさせたことがあります。
SS-20とは、当時、ソ連が西ヨーロッパに向けて配備していた中距離弾道ミサイルのことです。
西ヨーロッパといってもそのほとんどが西ドイツに向けられていたため、シュミット首相としては、その脅威を同じくソ連と国境を接する日本国の総理に訴え問題を共有したかったわけです。
ところが我が国の福田総理は、そのことを全く理解できず、無知を晒したのです。
一国の総理として実に恥ずかしい話ですが、そのような人物を総理に据えている我が国(国民)の恥でもあります。
いつも言う通り、軍事と外交(政治)は一体です。
軍事を欠いた外交など、子供同士のお飯事と同じです。
昨今の総理とて、おそらくは所詮同レベルでしょう。
早急に我が国は、高等教育あたりから軍事学を教えるべきです。
何度でも言いますが、軍事を抜いてしまうと国際政治を含めて世の中のことが解らなくなってしまいます。
欧米のインテリと言われる人は必ず軍事的な知識と素養を備えています。
なので欧米においては、軍事的な知識や素養のない人が政治家になることは珍しいという。
東大法学部を卒業し、大蔵官僚としてもエリートコースを歩んできた福田総理でさえ、軍事について無知だったわけですから、せめて高等教育から軍事的素養を身に着けさせることが必要かと思われます。
因みに、SS-20の話には、次のようなオチがあります。
西ドイツ同様に、イギリスでもソ連が配備したSS-20が国防上の問題になりました。
ときの英国首相はマーガレット・サッチャーです。
彼女はSS-20を無力化するために、パーシングミサイル(Ⅱ型)を配備することを決断します。
パーシングミサイルとは米国陸軍の地対地戦術用弾道ミサイルで、射程はSS-20より短いものの高い命中精度を誇り、それに核を搭載してSS-20と対峙しようとしたわけです。
すると議会から「そんなものを配備したら、ソ連と核戦争になってしまうではないか…」という批判を受けます。
そのとき、サッチャー首相は堂々と次のように議会で答弁します。
「日本を見よ。日本は核を持っていなかったからこそ、米国に核を投下されたではないか…」
結果、どうなったか?
パーシングミサイルが配備されたことでソ連のSS-20が無力化され、西ヨーロッパとソ連のお互いがミサイルを撤去するに至ってドロー・ゲームとなりました。
ニコロ・マキアヴェッリは「安全保障は経済よりも重要だ」と説き、例えばヴェネツィア、フィレンツェ、フランスがそうであったように周辺国に金品をばら撒き、カネ(経済力)で平和を買い取る国の哀れな末路を示しています。
戦後の日本は、一貫して経済を優先し国防を軽視してきました。
そのツケがいよいよ回ってきています。