毎年8月15日が近づいてくると「あの太平洋戦争から…」という内容の番組が多くなります。
しかしそのほとんどが、「核が無くなれば平和になる」「憲法9条さえあれば戦争にならない」など非現実的妄想というほかない内容なので愕然とします。
妄想では、現実としての平和を手にすることはできない。
あたり前のことながら、リアリズムある平和論を思考すべきです。
さて、1948年のウェストファリア条約以来、世界は少しずつではあるものの、国際平和(国際秩序)のための国際関係と国際法を構築してきました。
むろんその陰には国際秩序を支えるための武力が常に存在し、そのバランスが崩れた時に数多くの戦争がありました。
それでも、各国の軍事力が拮抗した多極時代(20世紀前半)の「戦死者/世界人口」が「5千万人/25億人」であったのに対し、米国とソ連の2極時代(20世紀後半)のそれは「2千万人/60億人」へと激減し、1990年以降の米国が主導する1極秩序時代には更にその比率は下がっています。
米国が主導する1極秩序時代が続くかぎり、局地的な紛争はあるものの決して世界大戦や多国間戦争には至らない。
この事実を、誰しもが認識すべきです。
イラク戦争とリーマン・ショックによって米国の国力が退潮気味にあるものの、軍事力はまだまだ他を圧倒しています。
中国が直ちに台湾侵攻に踏み切れないのはそのためです。
この「1極秩序」を揺るがすものが、①核の拡散と②非対称脅威(テロ・ゲリラ)の撹乱です。
核の拡散とテロの撹乱は、米国の軍事力を相対的に低下させるのでございます。
ゆえに米国は朝鮮半島の非核化をはじめ、NPTによる核の不拡散に積極的な姿勢をとっていますし、ブッシュ大統領以降の「テロとの戦い」を継続しているわけです。
その執念でしょうか。
米国は21年間にわたり追い続けてきた標的をようやくとらえることに成功しました。
同時多発テロをはじめ、数々の事件を起こしてきたテロ組織・アルカイダ。
その最高指導者アイマン・ザワヒリが米国の無人機の攻撃を受けて7月31日に殺害された模様です。
アルカイダは最高指導者の死を認めていませんが、ほぼ間違いない情報でしょう。
ザワヒリは2011年に米国の特殊部隊によって殺害されたオサマ・ビンラディンの後継者としてアルカイダの指導者となりました。
ビンラディンがアルカイダのカリスマ的支柱であったのに対し、ザワヒリはアルカイダの理論的支柱だったといっていい。
ザワヒリは1981年のサダト大統領暗殺事件に関与した容疑で逮捕されましたが、そのときに受けた拷問がその後の反政府武装闘争を先鋭化させたらしい。
彼はイスラム過激派組織「ジハード団」の指導者となり、1995年にはパキスタンのエジプト大使館を爆破、1997年にはエジプト南部のルクソールで観光客を襲撃し日本人10人を含む62人を死に至らしめました。
1998年には、ビンラディン容疑者らと共にケニア・タンザニアの米国大使館連続爆破事件を起こしています。
このときケニアのナイロビだけでも、大使館と市民の合わせて213人が死亡、5000人以上が怪我をしています。
目的のためには手段を選ばず、無関係の市民の犠牲も厭わない無差別テロの残虐さに世界は大きな衝撃を受けました。
ザワヒリ率いるジハード団がアルカイダに合流したのは2001年6月のことで、その約3ヶ月後の9月11日に米国同時多発テロを起こしたわけです。
同時多発テロ以降もアルカイダは、2002年にインドネシアでのテロで68人、2004年にはマドリード列車爆破事件で191人、2005年にはロンドン連続テロで52人、シャルムエルシェイク事件で68人、そして2007年にはアルジェでも62人の命を奪っています。
ここ数年は、SNS等で反米テロの呼びかけなどのメッセージを発信する程度で目立った動きはありませんでしたが、先月下旬、米国はザワヒリがカブール市内の住宅に潜んでいるとの情報を得たらしい。
7月31日の明け方、バイデン大統領の承認を得て、ザワヒリが潜伏先の3階のバルコニーに出たところを無人機から2発のミサイルを発射して殺害したという。
時間をかけ標的の行動パターンを観察し、綿密な計画を立てたうえでの攻撃だったことが伺えます。
米国政府は、アルカイダによる報復攻撃の恐れがあるとして、世界各地の米国大使館や米国施設への攻撃に対して警戒するように注意を喚起しています。
最高指導者を失ったことでアルカイダ指導部の影響力が低下した可能性があるとはいえ、その思想に共鳴する過激派組織が今もイエメン、パキスタン、インド、ソマリア、シリア、北アフリカなどの各地で活発に活動しています。
さらには、アルカイダから分離し、今や敵対関係にあるIS(イスラミック・ステート)とISに忠誠を誓う組織も数多く存在しているため、テロの脅威は未だ消えていません。